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December 30, 2004

『恋に落ちる確率』クリストファー・ボー

[ cinema ]

『メメント』、『NOVO』、『CODE46』、来春公開の『エターナルサンシャイン』など、例を挙げていけばきりがない、いま話題の記憶喪失系映画の一本ではある。しかしそれらの多くがあくまで脚本上のネタとしてこの問題を扱うのに対して、『恋に落ちる確率』はそれを演出にまで影響を与えるテーマとして用いる。
主人公の男は、ある日周りのあらゆる知人から忘れ去られてしまう。それまで親しかった隣人や友人、恋人すらも彼のことを思い出すことができない。従って観客はこの男の記憶を唯一完全な記憶として頼ることになるはずだが、この作品の原題「reconstruction」の通りに分断され重複していく演技と、衛星写真に似た高みから観察する視点の前には、それすら確かなものではないとあらかじめ宣告される。
統合されることなどあらかじめ拒むかのような素材の数々を、いとも簡単に「ひとつの映画」としてまとめあげる、冒頭とラストの「再構築」の仕方には疑問を禁じ得ないのだが、そんな編集すら包み込んでしまうようにこの作品の一番最初と最後に配置されるコール・ポーターの「night and day」こそがこの映画の白眉なのだと言ったら言い過ぎだろうか。この映画が始まった瞬間、文脈から切り離されて不安にすら感じる奇妙なリズムに導かれ、ただの昼と夜に還元された世界で「あの夜」も「この夜」もなく彷徨う。
バーで男と女が会うシーン。女は男に「写真も忘れたの?」と聞き、男は店においてあったまったく同じ3枚のポストカードを見せる。裸の女の背中が写されたその3枚を並べ、男は女に聞く、「飛び込むか、留まるか、……もう一枚は?」「待つことしか思い浮かばないわ」。
アステアが歌う「So a voice within me keeps repeating you, you, you」。その3度繰り返される「you」がまったく同じ3人の女に重なる限りにおいて、『恋に落ちる確率』ははじめに挙げた何本かの映画よりも、アラン・レネの映画が持つ「あるいは」の可能性を汲み尽くす試みにこそ近づく。

結城秀勇

シネセゾン渋谷にて公開中