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January 31, 2004

「旅をする裸の眼」多和田葉子(「群像」2月号)

[ book , cinema ]

近年の多和田葉子の小説は「ざわめき」のなかにある。そこでは能動的な聴取は行われず、いくつもの音がそれぞれ等価なものとして差異なく耳にまとわりつく。たとえばあなたが駅のターミナルに立っているような気分がするとしたら、それはただ汽車での移動が頻繁に行われるためだけではないのだ。「翌朝になると四枚の壁すべてから物音が聞こえた」。その(この)耳はそこにあるすべての音に晒されている。 サイゴンで暮らしていた...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:52 PM

January 27, 2004

ラグビー トップリーグが終わった

[ book , sports ]

今シーズンから始まったラグビートップリーグが閉幕した。優勝は神戸製鋼。この日は、東芝対サントリー、神戸対Cのゲームが同時刻にキックオフ。NECを除くどのチームにも優勝の可能性があった。僕らはスカパーのふたつのチャンネルをザッピングしながら経緯を見守る。だが、東芝対サントリーの解説をしていた小林深緑郎が「ゲームが終わるまでは優勝がどのチームに行くかではなく、ゲームに集中しましょう」と語るのを聞いて、...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:50 PM

January 25, 2004

『サルタンバンク』ジャン=クロード・ビエット

[ cinema , sports ]

ジャン=クロード・ビエットと『サルタンバンク』についていくつかのことを書こう。 「カイエ」の批評家だったビエットは、文章家でもあったし、何本かの素晴らしいフィルムを撮った映画作家でもあった。それに彼は、ロメールの『シュザンヌの遍歴』からよくちょい役でフィルムにも出演した俳優でもあった。昨年の夏から続いた「カイエ」の危機は、ビエットとジャニーヌ・バザンという「カイエ」の精神的支柱になった人々の相次ぐ...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:49 PM

January 20, 2004

『ミスティック・リバー』クリント・イーストウッド

[ cinema , cinema ]

復讐のための帰還、それは『荒野のストレンジャー』の亡霊としての回帰や、『アイガー・サンクション』の殺人家業への復帰など枚挙に暇がない。『ミスティック・リバー』において、復讐のために帰還するのは、まず「ただのレイ」と呼ばれる男だ。冒頭の少年時代のくだりと現在の間に広がる数十年の空白の時間、この決してフィルムに収められはしない暗黒の時間の中で、ショーン・ペン扮するジェミーに殺されて、河に沈められた男で...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:46 PM

『マリーとジュリアンの物語』ジャック・リヴェット

[ cinema , cinema ]

時計職人であるジュリアンは巨大な柱時計の修理に取り掛かっている。時計の大きさは、構造の複雑さ、修理の難易度には関係しない。ただその古さだけをあらわす。常人には聞き取ることのできない2種類のリズムの間で、薄暗い空間を埋め尽くす針の音に包まれての作業は、彼の手が「肉屋の手」と形容されるにふさわしく肉感的である。そしてフレームの隅にうずくまるマリーにズームアップして、あるいはダウンして再びふたりを収める...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:41 PM

『ココロ、オドル。』黒沢清

[ cinema , cinema ]

そのタイトルとはうらはらに、踊っているのは人々のカラダだ。婚礼の儀式、太鼓と手拍子の中、輪になった3種類の人々はまぎれ入り混じり、「融合」する。融合とはいくつかのものがひとつになることだろうが、その力点はひとつになることにあるのか、いくつかのものがそれとは見分けがつかなくなることにあるのか。遊牧民のような格好の村の人々、ダウンベストを纏った街の人、レインコートを着た水辺の草原の人。次第にその外見か...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:27 PM

『マリーとジュリアンの物語』ジャック・リヴェット

[ cinema , cinema ]

緑がまぶしい公園の木陰、一人の男(イエジー・ラジヴィオヴィッチ)がベンチに寄りかかり上を向いてまどろんでいる。目を開けて視線を下げ正面を見遣ると、白いスーツを纏った女性(エマニュエル・ベアール)がふと通り過ぎる。「マリー」と呼びかければ、彼女は「ジュリアン」と答えて振り返る。かくて、二人は再開を果たすのだけれども、続くショットでにおいてブラッセリーで目覚めるジュリアンを見るに及んで、わたしたちはそ...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:25 PM

January 18, 2004

ラグビー 大学選手権決勝 関東学院対早稲田

[ cinema , sports ]

結果は33-7。これだけ見れば関東学院の圧勝。前半の0-0のゲームは忘れられる。確かに前半は0-0というラグビーには滅多にない展開だった。ハーフタイムに春口が言ったとおり、早稲田のディフェンスが良かったことと、スカウティングが完全だったことが原因だ。スクラムとラインアウトというセットプレイで優位に戦うにはこうしろというゲーム運び。前者にあっては伊藤雄大、後者にあっては両ロックの踏ん張り。そして高校...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:24 PM

January 17, 2004

中平卓馬展「原点復帰-横浜」 横浜美術館

[ photo, theater, etc... , sports ]

例えば何か感動を覚えるような景色に出会い、カメラのレンズを覗き込み、シャッターを押す。やがて時をおいて印画紙にプリントされてくるグラフィックは、それが写真機で撮られたものであるということを理解している人にとって、<真実性>という性質を帯びた<特別なもの>であるように(そのグラフィックに自分が感じ得た感動が記録されているかのように)感じられる。選択する写真機やレンズによって、またはフィルムによって、...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:22 PM

『運命のつくりかた』アルノー&ジャン=マリー・ラリユー

[ cinema , photo, theater, etc... ]

「映像に映像を重ねる技術は何ていうの?」、マチュー・アマルリック扮する映画監督、ボリスが撮った企業PR映画を見た後で、マリリン(エレーヌ・フィリエール)はさりげなく質問する。「オーバー・ラップ=surimpression」と、ボリスは答える。マリリンが「オーバー・ラップ」に関心を持ったのも当然、二人の社員が恋に落ちるという筋書きを持つおよそ企業PRには似つかわしくないその映画では、ボリスとマリリン...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:21 PM

『1980』ケラリーノ・サンドロヴィッチ

[ cinema , cinema ]

ジョン・レノンが殺された翌日(1980年12月8日)という日付から始まり、12月31日にビルの屋上から夕暮れの「トウキョウ」を見渡すという行為で終わる、という要素だけでも、この作品のつくり手のなかに「80年代」ではなく、「1980」、あるいはむしろ「~1980」という意識があったことは想像に難くない。無数に登場する「1980的」アイテム(YMO「ライディーン」、山口百恵『蒼い時』、蓮實重彦『シネマ...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:19 PM

January 16, 2004

「1st Cut 2003」

[ cinema , cinema ]

今年も「1st Cut」の季節がやってきた。1月にはいって、すっかり寒くなった東京の冬のただ中で「1st Cut」が公開される。去年も確かそうだった。部屋を出るのが億劫になる季節に、渋谷駅を降りて白い息を吐きながらユーロスペースまでの坂道をのぼる。「1st Cut」はそんな記憶と結びついている。 「1st Cut」が冬の記憶をともなうのは、それが季節との関係抜きには見られないからだろう。画面には初...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:15 PM

『コール』ルイス・マンドーキ

[ cinema , cinema ]

父と母とその娘はまずそれぞれの場所で個室に監禁される。閉められた窓にはカーテンが掛けられその外を深い夜の闇が横たわり、二重のヴェールが個室空間を包み込む。その個室に偶然誰かが訪れても誘拐犯はしたり顔で追い返す準備ができている。その密閉されたかのような個室空間を打ち破ることになるのが、娘の咳である。彼女は喘息症なのである。 父と母が誘拐犯と携帯電話で交渉し、叫び声と怒声をどれだけ響かせて犯罪の完成と...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:13 PM

『ミスティック・リバー』クリント・イーストウッド

[ cinema , cinema ]

クリント・イーストウッドは旅をする。サン・フランシスコ市警でハリー・キャラハン刑事を演じたり、西部の開拓地で名もないプリーチャーを演じたり、スペインの地で早撃ちのガンマンを演じたり、アフリカで像撃ちを躊躇する映画監督を演じたりするために旅をする。だが、彼自身の聖なる身体をフィルムの表層に晒すことを選ばないとき、彼は、それほど大きくない場所に留まることを常にしている。ニューヨークの小さなジャズクラブ...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:11 PM

January 15, 2004

『LIFE GOES ON』高橋恭司

[ cinema , photo, theater, etc... ]

もし明日写真集を作れと言われたら何を考えるだろう。いや、写真を撮れというのではなく、写真集を編集してくれと言われたらの話。はい、と答えて、じゃあどんなものにしたいか尋ねられたら。ぼくはきっと「小津のように作りたいです」と答えるだろう。 『晩秋』の、壺のシーンはシンポジウムでも話題になっていたが、あの京都旅行中の清水寺のシーンの直前、なに山かの稜線が斜めに画面を横切るショットが挿入される。たしかその...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:10 PM

January 13, 2004

『ブルース・オールマイティ』トム・シャドヤック

[ cinema , photo, theater, etc... ]

「群像」12月号での保坂和志×阿部和重の対談の中で、保坂氏は、『シンセミア』は個の視点から世界を描くのではなく、出来事を並べ立てていくことで世界を捉えている、という発言をしている。だが、『シンセミア』の場合、神町という一つの町の仕組みやそこで起こる出来事を書くことに専念しているため、神の視点のような超圧的な存在が登場することはない、と。更に、保坂氏は自身が先日行った創作学校での石川忠司とのトークシ...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:08 PM

January 11, 2004

ラグビー 大学選手権準決勝 早稲田対同志社 関東学院対法政

[ cinema , sports ]

勝敗の行方が決定してから気を抜き法政に反撃を許した関東学院はまだしも、早稲田は法政戦に続いて薄氷の勝利を拾った。38-33。しかも前半は31-14というゲームである。それに一時は31-33と逆転を許した瞬間もあった。トライ数は共に5、ひとつのコンヴァージョンとPGの差で本当にかろうじて早稲田が逃げ切り、17日の決勝戦に臨むことになった。 前半に一時31-7と決定的に差が開いた時期があったがその直後...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:06 PM

January 10, 2004

『ニシノユキヒコの恋と冒険』川上弘美

[ book , sports ]

ニシノユキヒコという一人の男の名前が何度となく登場する。「西野君」「幸彦」「ニシノさん」「ユキヒコ君」呼び方や文字はそれぞれ違っていても、音としての「ニシノユキヒコ」は常に存在する。それが本当に同一人物の「ニシノユキヒコ」であるかどうかは明らかではない。ただ「ニシノユキヒコ」というひとつの音がそこに存在し続けるというだけだ。 一方、女たちの名前は次から次へと変化していく。夏美、みなみ、カノコ、マナ...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:05 PM

January 9, 2004

『パリ・ルーヴル美術館の秘密』ニコラ・フィリベール

[ book , cinema ]

青い服を着た男たちの集団が絵画や彫刻を運び込んでいく。遠目には制服のように見える青い作業着も、近づいて見ればそれらが様々なヴァリエーションをとっていることがわかる。三つ釦ジャケット風、ワーキングジャケット型、ガウンめいたベルト付きの服、オーヴァオール、デニムシャツ。丈も様々。彼らが巨大な絵を運ぶ。画布の巨大さに木枠が軋む、黒板を爪で引っ掻くような音。磨き上げられた床にゴムの靴底が音を立てる。1歩ご...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:03 PM

January 7, 2004

『ファインディング・ニモ』アンドリュー・スタントン

[ cinema , cinema ]

息子ニモを探し助け出す父親マーリン。物語はたったそれだけだ。そしてここには語りの効率性と、それを異化する距離とが見事に存在している。ガス・ヴァン・サントの『ファインディング・フォレスター』(邦題『小説家を見つけたら』)と同様、1本のフィルムは現在分詞のなかで特異な何かへと変容してゆく。 ピクサー・スタジオの魅力はそのアニメーションテクノロジーにあるのではない(でも確かにものすごい)。その魅力は、何...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:01 PM

January 6, 2004

『男性誌探訪』斉藤美奈子著(朝日新聞社)

[ book , cinema ]

「十人十色」というように、人にはそれぞれ個性があって、ひとりひとり別々の顔があり、別の声を持っていて、ひとりとして同じ人はいない。雑誌もまた、それと同じように、大まかなグループ分けはできても、それぞれが別の個性を持っている。本書には、それぞれの男性誌の備えるそういった「たたずまい」が記されている。たとえば、「文藝春秋」は「保守でオトナな日本のセレブ」であり、「サライ」は「家庭で、病院で愛される高齢...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 9:00 PM

「息子のまなざし」ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ

[ book , cinema ]

「距離を感じる」「距離を置く」「距離を縮める」人と人との間にある距離を操作することは、いつもふたりの人間間でしか起こらない。一対一で向かいあった時、ふたりの間には直線が引かれ距離を測ることが出来る。それは決して概念としての距離ではなく、数値としての距離である。 一枚の紙を一心に見つめながら、「オリヴィエ!」という声に顔を向け走り出す。オリヴィエが少年の存在を知るのは紙に書かれた名前からである。少年...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 8:58 PM

January 4, 2004

ラグビー 大学選手権2回戦

[ cinema , sports ]

関東学院対同志社、早稲田対法政を最後にラグビー大学選手権2回戦が終了した。同志社が明治、帝京を連覇したほか番狂わせはない。だがその同志社も関東学院に完敗。12トライの猛攻を受けた。対する早稲田は、法政に19-12の辛勝。曽我部を欠いた早明戦から早稲田はゲームプランにもたつきが出て、昨年のようなアルティメイト・クラッシュを一向に見せられない。 準決勝は関東学院対法政、早稲田対同志社とマッチアップにな...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 8:56 PM

『阿修羅のごとく』森田芳光

[ cinema , sports ]

4姉妹のうち3人は、過去の森田作品で主演を飾った女優たちである。それを、スタジオ全盛時代を経験したヴェテラン俳優たちが支えるという編成である(本作は仲代達也と八千草薫が、『模倣犯』(02)では山崎努)。いわばここ10年の「森田組」の華がそろったというわけだ。物語の舞台は昭和54-55年。時代考証は微細なところにまで施されていて、電話ボックスには黄色い電話器、食卓の牛乳パックは森永の懐かしいデザイン...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 8:45 PM

January 3, 2004

『A Talking Picture』マノエル・デ・オリヴェイラ

[ cinema , cinema ]

船出を飾るエンリケ航海王子の像やアクロポリスの神殿やピラミッド、イスタンブールの港で船を迎えるホテルの直線的な矩体と色彩。移動と時間が積み重なれば積み重なるほど、被写体は単純な幾何学的図形に還元されていく。それはオリヴェイラ自身の歩みにも重なるなどとも言えそうだが、だとすれば彼自身が「長生きする事がそれほどめでたい事だとは思わない」とつぶやいていたような意味でのある種の憂鬱が、目に映るものの持つ途...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 8:01 PM

天皇杯決勝 ジュビロ磐田VSセレッソ大阪

[ cinema , sports ]

サイドの出来がチームの攻撃力を左右する。セレッソ大阪は明らかにそんなチームだ。3-5-2の右サイド酒本がジュビロ(こちらも3-5-2だ)左サイド服部に詰め寄る。センターラインを越えた辺りで奪ったボールを中央前線のバロンへ。ワンタッチで落としたところに走りこむ森島はシュート!ではなく逆サイド大久保へダイレクトパス。シュートこそ打てなかったものの、開始早々のこのシーンが、セレッソ唯一最大の攻撃パターン...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 10:22 AM

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