三信ビル
[ architecture , cinema ]
2月11日付けの朝日新聞朝刊によると日比谷の三信ビルが老朽化によって取り壊されることになったということだ。日比谷、丸の内地区に残されたモダンなビルのうちのひとつがまた取り壊されることに反対はもちろん多く、この記事にも建築関係者の意見を聴取しながら、このビルをどうするか決めるとある。
まず結論から書こう。交洵社ビルのようにファッサードの一部だけを「記念碑」のように残したり、横浜・関内のビル群のようにファッサードの上に別のビルを建てるようなやり方なら、三信ビルも取り壊した方がいい。中途半端にかつての記憶を「保存」するよりも、今までのものよりも決定的に良いものなら、僕は取り壊しても良いと思う。たとえば横浜港の大桟橋がそれにあたる。かつての大桟橋よりもfoaの作品は決定的に良い。だが、新たなビルが単にゼネコン系大手のつまらぬ入れ物になるのなら、傑作である三信ビルは、内部を多様なリノヴェーションを施しつつ、資金が要ってもそのまま残した方がいい。
地下鉄の日比谷駅で降りて、シャンテ方面に向かうとき、僕は、かならず三信ビルの地下から階段を上り、1階のアーケードを抜けて目的地に向かうようにしている。1階から3階にかけて吹き抜けのあるアーケードは、様々な衣裳が施されて、そのやや暗めの照明と相俟って、非常に美しい。そこにあるフランス料理店など数点の店舗を除いて寂れかけているのは、やはり、取り壊し計画の影響だろうか?
このアーケードを歩いていると、パリのセーヌ右岸に今でも存在する多様なパッサージュを歩いているような気になる。つまり、もちろん僕は三信ビルの1階のアーケードが好きなのだが、それは日比谷の映画街へ行く抜け道であり、僕は、そこを遊歩しているからだ。もちろんパッサージュもリノヴェーションされて、土産物屋の代わりにジョン=ポール・ゴルティエのブティックが入ったりしているのだが、ベンヤミンが分析したパッサージュの機能は今でもそのままだし、それが時代を越えて、その衣裳を代えても構造も役割も同じままであるのがよく分かる。多様な衣裳を纏いつつもモダンはモダンのままなのだ。
もちろん建て代わっても1階には商店が入るのだろうが、パッサージュ型の商店街ではなく、ショッピングセンター型の商店街になってしまうのが普通の姿だ。大型ショッピングセンターに集まる商店とパッサージュの商店とは異なる。パッサージュは、まさに外部と内部が相互浸食し、そのボーダーを遊歩者が行き交う交通路であるのに対し、現在の丸ビルを含めたショッピングセンターは、その内部と外部を隔絶することで成り立っているからだ。その意味で僕にとって三信ビルは東京に残された最後のパッサージュのひとつなのだ。長年、そうしたいと重いながらも時間と機会を逸していたので、三信ビルにある「ヌーヴェルヴァーグ」という名の仏メシやでランチをしてみようと思う。