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March 1, 2005

ラグビー: 6 Nations 2005 フランス対ウェールズ

[ book , sports ]

辛勝を続けてきたフランスがとうとう敗れた。それもホームで。この敗戦をどう受け止めるべきだろう。敗戦は敗戦として次戦に繋がる反省点を挙げて、ゲームを振り返れば済むだけの話なのだが、今回はそうも行かない事情がある。
フランスのそれまでの2連勝を喜んでいた人は、おそらくベルナール・ラポルトひとりだろう。新聞にもレアリスト的な勝利と掲載され、ラグビー最高峰のスキルや戦術を見る機会を観客は奪われていたわけで、「勝てばいいのかよ!」と野次られるのも当然のゲームだった。どちらのゲームとも接点の攻防に終始し、「フレンチ・フレア」(フランス的な煌めき)の欠片もない愚戦だったからだ。ラポルトに噛みついたのは、前監督(にしてフレアの権化である)ピエール・ヴィルプルーだ。セレクションも戦術もダメだと断定するヴィルプルーにラポルトも黙っていない。多くのインタヴューでヴィルプルーに反論している。だが、この反論が少し醜い。「俺のチームの選手がヴィルプルーのことを何と言っているか教えてやろうか。インチキ野郎だ」。ヴィルプルーは「言論の自由で、議論から新たなプレーが生まれればいい」と再反論し、現キャプテンのプルーズも「チームはうまくいっている」と記者会見で答えなければ収まらない論争になった。

だから、ホームで行われた対ウェールズ戦は、ラポルトにとっての試金石、これから命運をかける勝負だった。前半の20分までは、ヴィルプルーの批判を封じ込めるような「伝統のフレンチ・フレア」全開! FBに入ったラーラグ、センターに復帰したジョジオンを中心に、面白いようにウェールズ・ディフェンス網を引き裂き、見事なトライを重ねた。批判の的になったドゥレーグもキックを封印し、ショート・パスに冴えを見せた。前半は15 - 6で終了。誰もが後半はもっと差がつくだろう。ヴィルプルーのお灸によって、フランスは甦ったと思ったのはハーフタイムの15分間だけだった。
後半になると、ウェールズが攻勢に転じた。彼らもキックを封印し、マイボールを奪うと速度のある展開。シェーン・ウィリアムズが走る、走る。速度のあるアタックには冴えを見せるフランスも、速度のあるアタックに対するディフェンスでは常に後手に回る。次第に点差が詰まり、逆転を許す。ラポルトは満を持してミシャラク投入。だが、満を持していたのはラポルトだけで、ミシャラクの小技では趨勢は変化しない。ラスト10分、ウェールズのゴール前で大攻勢をかけるがそのままノーサイド。

前半と後半は両チームともまったく別のチームになった。フランス側から見ると原因はいくつか考えられる。ラグビーがメンタルなスポーツである限り、前半のリードで楽勝を予想したのは見ていたぼくらばかりでなく、選手もそうだったろう。だから油断。プレーが軽くなり、体を張ったディフェンスもアタックも影を潜めた。だが、ヴィルプルーではないが、もっと根本的な欠陥がこのチームにありそうだ。昨年までのワイドな展開がなくなり、ショートサイド側に人数をかけ、スペースを集中的に使う作戦がなぜ採用されているのか? タッチラインのまた外側にフランカーを立たせ、多様なアタックを見せる──これにはフィジカルもゲームを読む能力も必要で、そのキーマンであるオリヴィエ・マーニュが欠場しているのが痛いが──やり方は、なぜか忘れられている。「勝てばよい」というリアリズムがクリエイティヴィティを置き去りにしてしまっているようだ。確かに「勝てばよい」のだが、「勝つだけではダメ」なのだ。スポーツとはゲームである以上、結果よりも過程であり、その過程がラグビーなら80分というゲームの時間だ。その時間のために眠い目を擦りながらライヴで見つめているぼくらにとって、結果は翌日の新聞で見るものであり、過程を共有することの方が、ずっと重要なのだ。

梅本洋一