『ビフォア・サンセット』リチャード・リンクレイター
[ architecture , cinema ]
平日の午後、ガラガラの恵比寿ガーデンシネマ。前から3列目に腰を下ろすと、ぼくの前には誰もいない。
いきなり映るシェイクスピア&カンパニー。この書店のすぐ裏にぼくは3年間住んでいた。イーサン・ホーク扮する小説家がインタヴューを受けている。彼が座っている椅子の前の棚からぼくはダシール・ハメットのポケットブックを2冊買った。そして、この書店が舞台になっている一章があるヘミングウェイの『移動祝祭日』(ペンギンブック版)を買ったのもこの書店だった。いろいろなことを思い出す。それらの本を買ったとき、一緒にいたひとのことも思い出してしまう。
いろいろなことを思い出すのは、ぼくばかりではない。イーサン・ホークも同じだ。インタヴューが終わる頃、9年前に一夜を過ごしたジュリー・デルピーが一番後ろに居るのを見つけたからだ。彼のパリ滞在は後2時間余り。フィルムは、リアルタイムで、彼らのわずかな時間を共有させてくれる。まるで『5時から7時までのクレオ』じゃないか! ふたりが最初に腰を落ち着けるPure Caféが実際にあるかどうか知らない──おそらくPaletteというカフェではないだろうか──が、シェイクスピア&カンパニー書店からそのカフェまでの道は全部知っている道だ。夏が終わろうとしている。初秋。
カフェでの彼らの会話は実にたわいない。内容がないと言えば言えるけれど、互いの9年間の距離を測るためには仕方のない迂回だろう。その間、目の前にいるひとはどうしていたのだろう。点と点を結ぶ作業は必要だし、互いに大人だから、点と点を結ぶのは直線ではない。リンクレイターのフィルムは喋ってばかりいると言われるけれど、このフィルムもその典型だ。
カフェで距離の測定が終わると、ふたりは、セーヌ川を走るバトー・ムーシュに乗る。ポン・デザールからアンリ4世橋まで。直線にして2キロないだろう。ふたりの背後に映るのはノートルダム、そしてサンルイ島。パリの歴史の中心でふたりはふたりの歴史について考える。点と点の間に、おぼろげな線が見えてくる。アンリ4世橋から待たせておいたクルマに乗り、シャトー・ドーにあるジュリーのアパルトマンまで送っていく。クルマの中では、おぼろげな線が次第に鮮明さを増す。「わたしと別れた男はかならず結婚してしまうわ」「ぼくだって結婚して4年たつけれど、子供が生まれてから妻を抱いたのは10回もない」。9年前の別れが別れでなかったら、今はどうなっているんだろう。ぼくらもそんなことは毎日考えている。あのとき、別の1秒間があれば、今はまったくちがう今だったろう。誰かと生きていくってどういうことなんだろう。ぼくらは毎日そんなことを考えている。けれど単に忙しいなかで日々が流れていくだけだ。
アパルトマンの中庭では住民たちのパーティー。タブレを用意している。ジュリーの部屋に上がっていくふたり。そこでジュリーはギターを手に『A Waltz for 2 Night』を唄う。歌詞は、彼女が本当に彼を愛していたことを示している。最初は、迂回に次ぐ迂回だったジグザグの線が、その凹凸をなくし、まっすぐで濃い直線になる。今さら直線になっても仕方がないのに。
エンド・クレディットでもジュリー・デルピーの歌が流れる。『Je tユaime tant』。「とても愛している」と意味だ。とても動揺してしまった。