『現実の向こう』大澤真幸結城秀勇
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神田三省堂と池袋ジュンク堂で行われた講演を元に作られた本書は、話し言葉(呼びかけ)のかたちで書かれており、また内容も、10年前に書かれた『虚構の時代の果て』の直接的な続編のようであり、読み進むのにさして困難はいらない。実際かなりの短時間で読み終えたのだが、それでもなぜかその平易な文章の間にひっかかりが生まれ、消えずに残った。
そのひっかかりは講演というパフォーマンスの形態ゆえにか、それとは別の必然性を持ってか、『虚構の時代の果て』と『現実の向こう』の間の温度差となって現れる。たとえばヨーロッパを「話せばわかる」という普遍性の思想が支配する場所であるといい、対してアメリカはあまりに多くの価値観が並立するゆえに「話してもわからない」ポストモダンな思想が支配する場所なのだというような分析は刺激的で興味深くはあるものの、それらの分析は本書においては補助的な役割でしかないように感じる。むしろ本題はそれらの分析を用いて何を行おうとしているのか、ということである。平和憲法やオウムという「解決」してしまうにはあまりに複雑すぎるように見える問題に、性急にすぎる速度で提言を行う著者の姿は、状況の冷静で正確な分析というよりもむしろ、ある程度の言い間違いや誤謬さえも含んだ説得、あるいは煽動を行っているかのようなのだ。
第1章「平和憲法の倫理」で北朝鮮・自衛隊・国連、第2章「ポスト虚構の時代」でリアリティ・ショウや『砂の器』、第3章「ユダとしてのオウム」でオウム信者の問題の解決の方法、大澤は位相の違うそれらの問題に足早に答えていく。その方法は提言などという控え目なものではない。それをとるのか拒むのか、拒むのならば違う方法をいますぐ見せてみろ、というような性急さがそこにはある。
『虚構の時代の果て』において著者は「虚構の時代」の「果て」に位置していた。だが本書においては「現実」の「向こう」には確実に立っていない。それでもなお、というヒリつくような速度だけが、読後のいまも残っている。