『東京散歩昭和幻想』小林信彦衣笠真二郎
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本書は、かなり前に出版された『日本人は笑わない』に追加・再編集をほどこしたものである。内容的にも「おなじみ」といえる代物でいつものように小林信彦の名コラムを存分に楽しめるのだけれども、改められた新しい題名そのものに少し引っかかってしまう。『東京散歩昭和幻想』とはずいぶんわかりやすいタイトルだがあまりにもストレートであるように思うからだ。著者が妄執的にこだわり続けてきた空間と時間の名称に「散歩」ととりわけ「幻想」という言葉が付されているのを見ると、納得させられつつどこか薄気味悪い心地がする。それが「幻想」であると知りつつ自分の根源にあるものと向き合おうとするときそれはいったいどのような感覚を与えるものだろうかと不思議に思うのだ。「一九四五年三月十日の大空襲で町は消えてしまったが、文化装置はぼくの身体の中で生きのびている」と著者は書いているが、60年ものあいだ「幻想」をかかえ続けてきた身体の実感はどのようなものだったのか、それに興味を引かれてしまうのである。
付録として「ぼくとパラオと湾岸戦争」と題された日記が収録されている。そこでは『世界でいちばん熱い島』の執筆前後の模様がドキュメントされていて、著者がページ数を見積ながら苦労して執筆していたりそれに編集者がコメントしたりと、書下ろし小説の制作過程をのぞき見ることができるようでたいへん面白い部分である。脱稿してからも題名決めが難航し、けっきょくプリンセス・プリンセスの曲名「世界でいちばん熱い夏」からアイデアを得たという。
たとえば「世界でいちばん熱い夏」の「世界でいちばん熱い島」があるとすれば、そこでは熱さのあまり人は立っていることさえもできないだろう。そこには熱さだけが確実に存在することになる。小林信彦が「東京」の「昭和」から体感し続けているのもこれと同じ熱さなのではないだろうか。熱さのあまり日中は人気がなくなってしまう真夏の町、無人の空間から熱さだけが押し寄せてくる。それを一身に受けて身体を火照らせながら、すでに人気の失せた過去の「熱帯」の中を彼は歩き続けている。