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April 1, 2005

『吉本隆明「食」を語る』吉本隆明、宇田川悟
衣笠真二郎

[ book , sports ]

yoshimoto.jpg「食」を語る、とタイトルにはあるけれども、インタヴュアーによる聞き語りのなかで街の名店や絶品のメニューといった固有名詞が吉本隆明氏の口に上ることはほとんどない。食べものにかんしては幼いころ母親が作ってくれた味の濃い料理、高校生時代よく飲んだというどぶろくの酒、所帯をかまえ炊事を担当するようになって工夫した調理法……などなど、グルメとはほとんど無縁と言ってよい個人的な食の思い出について隆明氏は感慨深く語っている。しかも、このタイトルにもかかわらず食について語られている部分がいささか少なく、本全体の分量からみると隆明氏の職業的な経歴について語られているところのほうが多い(あるいは多すぎる)。とくに本書の前半部分で語られている戦中と戦後の時代では、動員学生として工場で働いたりサラリーマンとして就職したりと、「食」ではなく「職」について多くのページが割かれていることに気付かされる。食うために働いたのだと言えるのかもしれないけれども、このとき隆明氏は飢えと空腹をかかえながら方々で食べものをちょろまかしては口にしているので、食べものについてはかなり呑気にかまえていたようにみえる。後年、文芸評論家として一本立ちした後になっても隆明氏は美食家になることはなく、家庭的な味こそが彼のもっぱらのこだわりであり続けている。病弱な妻に代わって家族のために手料理をつくるのだが、実のところ、わりといいかげんなレシピのヘヴィ・ローテーションで切り抜けていたようだ。言ってしまえば、隆明氏の味覚には「おふくろの味」をベースにした粗野な好みだけしかないと言わざるを得ないのだが、食そのものについては衣・食・住を作る一要素としてとらえており、それが本書で語られていることが次第に明らかになってくる。だから彼にとって食とは当然家庭や生活にとけこんだものでそれらと重ったものなのだろう。「手を動かす」職人的な仕事を重視する隆明氏にとって、食べることも食事を作ることも手作業のひとつであり、調理の手のぬき方さえもあっさりと語れてしまうようなきわめて技能的な営みであるにちがいない。

amazon.gif吉本隆明「食」を語る