『批評と理論』磯崎新、鈴木博之、石川修武 監修梅本洋一
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多くの部分が上下2段組で400ページ近い本書のサマリーを書くことなど不可能だろう。ふたりの建築家とひとりの建築史家が「日本‐建築‐歴史を問い直す7つのセッション」(表紙)を監修している。伊勢神宮から岡倉天心、ブルノ・タウトを経由して岡本太郎、そして監修者のひとりである磯崎新までの2000年近い「日本」の建築が、建築ばかりではなく、美術、文学など多くの視点から辿り直されている。このとても厚い書物を貫くタームが、最近の磯崎が語る「和様化」にあるのは述べるまでもないだろう。上記の固有名に丹下健三を加えれば、この射程は具体的な像を結ぶだろう。磯崎の「和様化」は、モダンとポストモダンの果てに再発見された「日本」ではない。「和様化」はナショナルなものと等号では結べない、と磯崎は何度も語る。だが、ナショナルなものが「和様化」の契機になりうるとも語っている。「輸入された原型が変形を加えられ、やっぱりこの国でしかできなかったと思わせるような姿に変わっていく。それが和様化と呼びうるもののひとつの側面です」と磯崎は説明する。福田和也と共著で書物を出版し、「和様化」を語る磯崎新の手つきは、やはり、単純ではないのだ。私は、磯崎も企画の中心人物のひとりだった「間展」を78年にパリで見たとき、当時、そこで勃興していた暗黒舞踏への関心と共に、やや東洋のエキゾティスムしか感じなかったが、浅はかだったのかもしれない。本書の多くの指摘は、表層的な嫌悪感ゆえに見ないですませることを選択して、結局、理解不能だった多くの事柄を解説してくれることになった。
谷口吉生や村野藤吾といった建築家たちが、モダニスムの果てに再発見する「日本」、岡倉天心やブルノ・タウトの「日本」、そして、日本にありながら徹底して日本の外部にあることを意識した岡本太郎。どうして多くの人々は、このように「日本」に出会うのだろう? 「わたし」のアイデンティティとナショナル・アイデンティティとの混同、自己と国家との撞着──単純な私にはそうとしか考えられなかった。これは幼少時から51Cの団地に住み、高校時代に68年を体験し、70年の大阪万博には反撥しか感じなかった私の「個人史」の反映だろうか? 日本庭園に流れる小川の音を、安眠を妨げる騒音としか感じることのできなかった私の欠落だろうか? 伊勢神宮にも法隆寺にも桂離宮にも修学旅行の折に出かけたが、まったく興味を持てなかった私自身の無知だろうか? したがって、本書の中にもっとも私の興味を引いたのは、インヴィジブル・シティと名付けられた磯崎の現在を考える最終章と、それに先立つ、万博のお祭り広場に建てられた岡本太郎の「太陽の塔」ということになる。これらの問題は、本書を読んでからも考え続けなければならないことだ。