『FILING—混沌のマネージメント』織咲誠・原研哉+日本デザインセンター原デザイン研究所 企画/構成藤井陽子
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たとえば部屋の中をぐるっと見回してみると、それだけで人はかなり多くの種類の物質を目にすることができる。自らが意図して、あるいは無意識のうちに、集まっていったものとその混沌を、単に無機的に整頓するのではなく、ゆるくまとめ、ものとものとを出会わせる有機的な空間を生み出すような整理をしないか、というのが「FILING」のひとつの提案で、本書ではその実行例や、実行する際に手助けとなるひと工夫された道具、アイディアが紹介されている。
たとえば立花文穂の「ダイアリー」は、旅で出会ったものや集めてきたものをその素材のまま本の形にゆるくまとめたものだ。こうすることで、その物質のもつ質感や重み、匂いまでが、ダイレクトで豊富な情報をもったままファイリングできる。きっとこの本を手にすれば、その土地に行った者の記憶をなによりも引き出すことになるだろうし、その記憶を共有する者でなくても、写真を見るのとは違う感触とともにその地に思いを馳せイメージを膨らませることができるだろう。こうしたファイリング例をいくつも見ていくと、磨耗し傷つき縮れくたびれた物質がそれまでに負った時間と情報量の多さに改めて気づかされると同時に、それが他の物質と出会ったときに発生する、新たな関係、驚きこそがクリエイティヴィティの根源なのだという彼らの考えがよくわかる。決してコンピューターを否定するわけではないが、コンピューターの情報では掬い取りきれない多くの情報があるということを今さらながら思い起こさねばなるまい。
もうひとつこの本のキーワードになっているのは、1年前の「TAKEO PAPER SHOW」でも提案された「HAPTIC」という考え方だ。五感を覚醒すること。そして受け手の五感をも覚醒させること。原研哉がこんな話をしていた——扇風機(ファン)のような形をしたCDデッキがあって、はじめてそれを使ったとき、風が来るだろうと敏感になって待ちかまえていた彼のほほに、風ではなく音楽がやってきたときの、その驚きの感覚。デザインによってその使い手の感覚をより敏感な状態にしてゆくこと、それは文章の書き手にも求められるべきことだろうと私は思う。かつてアンドレ・バザンが、批評とはありもしないことがらを銀のお盆にのせて差し出すのではなく、読む者の中にその対象のイメージをできるだけ遠くまでおし広げてゆくことなのだ、と言ったように。読み手の感覚をより敏感にさせるような文章を、書かねばなるまい。とても身のしまる思いがした。