『愛慾』ジャン・グレミヨン梅本洋一
[ cinema , cinema ]
ドミニック・パイーニの「記憶、引用、回想の中の映画」と題されたプログラマシオンの中にある「ジャン・ギャバン、プロレタリアートの憂鬱」の回にルノワールの『獣人』と共にグレミヨンの『愛慾』が上映された(東京日仏学院エスパスイマージュ)。
このフィルムを見たのは25年ぶりだ。『獣人』と共に見ると、2本ともジャン・ギャバンが主演し、ほぼ同じ物語が語られているのが分かる。もちろんこうしたプログラマシオンの妙について語りたいが、その詳細についてはパイーニ自身のインタヴューが掲載されるnobody本誌に譲り、ここでは『愛慾』について書こう。
南仏のオランジュの駐屯するプレイボーイと呼ばれた若くハンサムな兵士が、ある偶然からカンヌの郵便局で美貌の女性に会い、除隊後、彼女を追ってパリに上り、印刷工として働きながら、彼女との再会の機会をねらうが、彼女はいわゆる高級娼婦であり、愛人に妨げられる。失意の内にオランジュに帰り、小さなカフェを経営するが、兵隊仲間で親友の医者がその女性との結婚を望んでいることを知り愕然とする。彼は、自分に再会するために彼女はオランジュにやってきたのだと思う。実際、彼女と再会すると彼女は自らそう告白するのだ。カメラはギャバンが後ろで組んでいる両腕をクロースアップする。そしてギャバンは彼女を絞殺してしまうのだ。わずか2年間の出来事なのだが、兵士時代の輝くような自信に満ちた若さを湛えたギャバン、そしてオランジュに戻りなじみのカフェに行くと、「20歳は歳を取ったように見える」といわれるギャバン。絞殺後、親友を訪ねて助けを請うギャバン。歩様、表情、眼差し、それらのすべてが彼の変容を伝えてくれる。
そして、オランジュとパリの差異はそのふたつの街の空気の差異によって示される。当然、ロケだ。南仏の陽光と木々、そして霞むように見えるリヨン駅とパリの印刷工場。アレクサンドル・トローネル等のセットが全盛の時代にこれほど風景の身体性がフィルムに貼り付いた例はルノワールとジャン・ヴィゴのフィルムを除いて見たことがない。ジャン・グレミヨンの他の傑作群の多くは、スタジオで撮影され──たとえばウーファのスタジオで撮影された『不思議なヴィクトール氏』の明暗のきつい照明!──、もともと実験映画出身のこの映画作家の長所としてその特異な映像が挙げられることが多い。だが、この物語にあって、グレミヨンはセットと照明に粋を凝らすのではなく、土地とそこに流れる大気とジャン・ギャバンとミレイユ・バランの身体にフィルムのすべてを託しているようだ。特にパリで愛を確かめ合う場所として選ばれているビュット=ショーモン公園は、パリにあってもオランジュを思わせる自然に満ちた公園だ(リヴェットが撮った『ルノワール、親父さん』でも撮影にこの場所が選ばれている)。グレミヨンのフィルムは、80年代後半に再評価の機運が高まったことがあったが、この占領下にもフランスに留まって撮影を続けた希有な映画作家について私たちはまだ多くを知らない。
蛇足ながら、このフィルムでジャン・ギャバンと共演したミレイユ・バランは、ジャン・パトゥーのマヌカン出身で、『望郷』でもギャバンと共演した戦前もっとも人気のあった女優だった。このフィルムのマドレーヌさながら社交界の花でもあった人だが、パリ解放直前にドイツ人将校と恋に落ち、将校は銃殺され、彼女も南仏で逮捕され、3ヵ月間投獄されたそうだ。その後、映画に1本出演するが、無視され、ついには失業した俳優たちのために与えられた惨めな住居に身を落ち着け、ほとんど一文無しで亡くなったそうだ。