『楳図かずお 恐怖劇場』「蟲たちの家」黒沢清結城秀勇
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楳図かずおのデビュー50周年を記念した、6本の楳図作品の映像化という企画の中の1本。
不動産関係の仕事で働く蓮司(西島秀俊)は、妻(緒川たまき)が家に閉じこもりがちなことを気にかけている。妻は妻で、夫が酒を飲むと嫉妬深く暴力的になることを気に病んでいる。ふとしたことをきっかけに、妻は2階の一室に閉じこもり、そこから出てこなくなる。蓮司は浮気相手でもある大学の後輩に、自分の見ているものがただの妄想なのかどうか確かめてほしいと、自宅へ招く。2階の一室で彼女が見たものは、カフカの『変身』さながらに自分が虫になったと思いこむ蓮司の妻の姿だった。と、こんなストーリーだ。
始まってすぐに、ある瞬間が何度も反復されるのに気付き始める。緒川たまきが部屋に閉じこもる契機になる瞬間だ。夫の視点、妻の視点、第三者の視点と、同じシーンが何度か繰り返される。原作もそのような時系列になっているのだそうだが、反復される画面の中で強化されるのは、登場人物の視線ではない。彼らは同じ物を見ていないからだ。
彼らはそこで自分の見たいものを見る。いや、自分がこう見られたいと望んだものを見せるのだ。だからそこでなにが起こったのかではなく、物事が繰り返される舞台であるこの家の細部が次第に目に飛び込み始める。階段の壁につもったわずかな埃、玄関のドアの塗装のはがれ具合。緒川たまきや西島秀俊があたかもオブジェのように、へたり込んだり立ちつくしたりするのとは裏腹に、この家は生き生きとしてくる。そこにいる者たちは誰も動いていないのに、軋みがどこからか聞こえてくる。
外に向いた窓にはカーテンが常に揺れている。床には包装紙として使われていた新聞が散らばっている。夫婦生活が実質上名前だけのものとなっているこの家は、ある意味で「廃墟」と呼んで差し支えないような場所だ。それはなにかが死んだ場所なのではなくて、それでもなにかが生き延びている場所である。西島秀俊は緒川たまきの視線を受け入れて、巨大な甲虫を妻だと認識した上で、踏みつぶす。だが結局、CGはCGでしかないということがわかる。
吹き抜けのリヴィングルームを見下ろす2階の部屋の窓は最後まで開かれることはない。だがあらゆる妄想が互いを殺し合ったこの家で最後に生きているのは、その窓からこの家の内部を見る視線、あるものはあるというこの家の掟なのではないかと思った。