『遠い国』アンソニー・マン衣笠真二郎
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映画が始まって真っ先に目に飛び込んでくるのは活気ある港町の風景だ。忙しく動きまわる商人たち、山のような積み荷、運搬用のたくさんの馬たちが、狭い波止場から溢れんばかりの勢いでごった返している。人混みと雑踏によって占拠された空間の遠くの方から、鈴の音が聞こえてくる。何十頭もの牛が押し寄せてきてその間を縫うようにして姿をあらわした一頭の馬にはジェームズ・スチュワートが跨っており、その鞍には小さな鈴が付けられているのがわかる。「よし、いよいよ西部劇が始まるぞ」と誰もが身がまえてしまう最初の一瞬だ。するといきなり彼の口から旅の終わりが告げられ、軽い拍子抜けを喰らわされてしまう。実はこの港町こそが長い牛追いの旅の目的地であったようなのだ。その途上で逃げ出そうとしたカウボーイがジェームズ・スチュワートによってふたりも殺されている。ここでようやく仕事を解かれた他の仲間たちは苦々しい表情でジェームズ・スチュワートのもとを去っていく。港町にたどり着くまでの彼らの旅にあったはずの、友情、裏切り、殺しをめぐる豊かな「西部劇」。それは今終わったばかりだとこのフィルムのファーストシーンは告げている。それは登場人物の単なる過去以上のものではなく、そうした過去の果てにこのフィルムは始まるのだ。この港町が位置するのは合衆国西部の果てにある街シアトル。フロンティア消滅宣言から数年経った1896年の物語である。
ようやく長旅を終えたときジェームズ・スチュワートが決めたのは、その長旅をさらに続けることだった。なぜなら到着したシアトルの先にもさらなる「遠い国」があったからだ。ジェームズ・スチュワートは馬と牛とともに船に乗りアラスカへと向かう。そこで悪徳保安官に牛を没収され、それを奪い返してさらにカナダへと逃げる。しつこく追いかけてくる保安官とジェームズ・スチュワートはいずれ決闘することになるだろう。
西部への長い旅の終わりから始まったこのフィルムもやはりまぎれもない西部劇の1本であった。その上で、もし『遠い国』にある特異な点を見つけるとすれば、それはジェームズ・スチュワートが北を目指していることだといえる。凍てついた氷河、切り立った険しい山々、針葉樹が林立する丘陵地、それらがこのフィルムの風景をつくっているのだ。そこで人々の対立を深める劇的な瞬間が起こるとき必ずあらわれるのは、風景の表面を滑走してくる何かだ。旅の途中で見舞われる雪崩れ、対決の場所に殺到する町の人々が、まるで雪解けの水が小川をつくるように、どこからともなく集まって急に下降してくる。そして物語全体も決闘の場面に向けて一気に雪崩れこんでいく。
冒頭の港町では水平的な広がりを見せていた風景、人々、物語が、このとき「アンソニー・マンの斜面」によって雪崩れに巻きこまれたのだと気付かされてしまう。くわえていえば、その「斜面」とともにある、奥行きのある審美的な空間がどこかマカロニ・ウェスタンのそれに似ているようにも見え、もしや西部劇そのものの雪崩れをも引き起こそうとしているのではと思うのだが、それは勘ぐりに過ぎるというヤツだろうか。