丸の内は変わる梅本洋一
[ architecture , cinema ]
東京改造の先端的な場所は、何と言っても丸の内だろう。かつて31メートルのスカイラインが並び、それぞれのビルがその意匠を競った日本の産業界の中心が丸の内だった。そのスカイラインが崩れたのは、東京海上ビルが建った1986年だったろう。今となっては決して高くはないが、この赤茶色のビルは、当時はまだスカイラインのあった丸の内では異彩を放っていた。東京中心部の容積率の変化が、この高層ビルを生んだわけだが、当時から開始されていたバブルが、丸の内の高層化に拍車をかけた。
バブルが弾け、まんだらになった丸の内に残されたのは、この地に根を張る三菱地所が先導する再開発だ。東京都庁跡の東京国際フォーラム(東京の3大クズビル──磯崎新の表現)──丹下健三の「傑作」を「破壊」し、同じ建築家の「駄作」に身を落ち着けることを選んだ鈴木前都知事の錯乱の産物──をその端緒にして、丸ビルが建て替えられ、丸の内オアゾが建築された。そして、第一生命ビルなどの建築物にも再開発の波が押し寄せ、傑作と判定されたビルは、隣接するビルと接合され、その間にガラスの屋根を設えるという解決策が採用されている。その最後は岡田信一郎の真の傑作・明治生命館が後方のビルと接合されつつあるものになるだろう。確かにオアゾにも丸ビルにも人が集まっている。丸の内中央通りには高級ブランドの露面店が軒を並べている。
丸ビルなどに見られる高層という選択も、一見、アトリウム風な隣接ビルと接合する方法も、「再開発」の名の下に、丸の内の風景を変貌させている。そして、変わりつつあるのは風景ばかりではない。高層もアトリウムもその複合体としても建物に人を集めるのに成功しているように見えるが、こうした選択は、丸の内をまるで郊外のショッピングセンターのように変えている。もともとストリートであった丸の内が、それぞれの単体のビルの集合体に変貌しているからだ。
東京の再開発は、見事にストリートを消している。恵比寿ガーデンプレイス、代官山アドレス、六本木ヒルズ、それらのどれもが「広場」とその周辺に建つ高層ビルという構成で人を集めているが、それらは明瞭に周囲には何もない郊外のショッピングセンターの技法なのだ。広場に集まった人は皆エレヴェーターに乗り最上階をめざす。そして各階層には商店が重層する。ストリートを「遊歩」する人は姿を消し、ランドマークを中心に円周状の街が建設されているからだ。代官山アドレスと、旧山手通り沿いの朝倉不動産と槇文彦のストリートの建設の差異を考えればそのことは明らかになるだろう。見事なストリートが並んだ丸の内は風前の灯だ。3年前に入った丸の内八重洲ビルの地下にあった丸の内グリルも姿を消した。東京という街が全体として郊外のショッピングセンターに近づいていくのだろうか。まだ銀座が残っているのが幸いだが、東京の全体としての郊外化はこれからも続行するだろう。