「ストーリーテラーズ:アートが紡ぐ物語」渡辺進也
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本誌18号でドミニック・パイーニにインタヴューをしたとき、ある展覧会をすすめられた。「展覧会自体はひどいものだけど、そこに展示されている作品は面白いよ」。それが、森美術館で企画・展示されている「ストーリーテラーズ:アートが紡ぐ物語」である。
平日の夕方過ぎ、六本木ヒルズにはたくさんの人が歩いている。僕は森美術館には行ったことがなくて入り口がすぐにわからずうろうろしてしまう。入り口を発見し、エレヴェーターで52階まで上がって美術館に入ると、「秘すれば花:東アジアの現代美術」展が一緒に展示されていて、順路に従いそちらから見ていくことになる。ひとつひとつの作品の前で何となしに足をとめると、少しずつ工夫がされていて面白い。最初はいたって普通にみえるのだが、時間が経つとともに発見がある。水墨画風の絵がびっしり並べられた数ミリのハングル文字によって作られていたり、真っ白い何もない部屋だと思ったら天地が逆になっていてその部屋の様子は外のテレビに中継されて入った人間のほうが天井にさかさまになって見えるものや、部屋の中を虫眼鏡で文字通り虫を探すものなどがあった。美術としてどうこうの問題ではなくて普通に面白かった。
「秘すれば花」展は無音の作品ばかりなので、騒がしい音が徐々に聞こえるようになると「ストーリーテラーズ」展になる。グレゴリー・クリュードソンの作品は道路の真ん中に立っている家、寝そべっている女の人が床にぷかぷかと浮いているのを撮った写真。テリーザ・ハバートとアレクサンダー・ビルヒラーの映像作品にはあらすじめいたものがある。ひとりの女性が部屋から荷物を持って慌てて出て行く。外に止めてあった車に乗り込むと持っていた携帯が鳴る。車が部屋に突っ込む。女の人が瓦礫の下から荷物を持って出てくる。また荷物を持って部屋から出て行くといったことがヘビーローテーションする。それは部屋の周りをくるくるとまわる切れ目のないカメラによって撮影されている。ちょうど見たのが部屋を出て行くところだったからこういう書き方になったけれども、どこが物語の始まりかもわからないし、終わりもわからない。映像がひとまわりしたところで見るのをやめてしまったけれども、ずっと繰り返し流されているのだろう。他にもマーク・ウォリンジャーの映像作品は空港の入り口のところを行き来する人を時間を引き延ばして見せていく。他にもいろいろと楽しめる作品があった。それに展覧会の場合つまらなければ移動してしまえばいいだけのことなので都合がよい。たぶんそれも展覧会のいいところなのではないだろうか。
正直に言ってしまうと途中から見るのが面倒になってしまった。それぞれの作品が物語のレパートリーを見せているようにしか思えなくなってきたからだ。多くの作品にとって物語があることが自明なものとしてある。物語に寄り添うように作られている。あるいはそう感じてしまうのはそれぞれの作品が物語という括りによってひとまとめにされているからかもしれない。それぞれの作品はこの展覧会のために作られたわけではないだろうし、こうした展覧会で展示されるとは作者は想像もしていなかったかもしれない。「物語」という基準に沿って、そしてただ理由なく並べられているように展示されたときに、個々の作品の間にあるのは差異ではなくて同じように物語を扱っているという共通のほうにある。だんだんと進んでいくうちにパイーニの言葉を思い出してしまった。「展覧会自体はひどいものだけど、ひとつひとつの作品は面白いよ」。後半部の言葉に惹かれて見に行った展覧会は、前半部の言葉を印象に残すものとなったのだった。
「秘すれば花:東アジアの現代美術」展
「ストーリーテラーズ:アートが紡ぐ物語」展
3月29日〜6月19日
森美術館 六本木ヒルズ森タワー53階にて開催中