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May 24, 2005

アーセナルの今シーズン
梅本洋一

[ sports , sports ]

ロスタイムの失点で0-1でペルーに敗北した日本代表の問題点が浮かび上がってきた。ゆっくりとポゼッションし、機を見てアタックという基本戦術はこのゲームでも不変だった。だが、前から書いているとおり、眠気を誘うリズムも一向に変わらない。確かにこのゲームでもボール支配率は高く、負ける感じはなかったが、最初から引いてカウンター狙いの相手からどうやって1点を取るのかという方法論もまるでない。もし、この方法を続けるなら、ミッドフィールダーはもっとシュートを打つ必要があるだろう。ヴァイタルエリアは人混みだ。遠めから打ち、ディフェンダーを前に出す工夫が必要だ。チャンピオンズリーグやヨーロッパ各国リーグの終盤戦を見慣れた目には、日本代表のゲームは単に「かったるい」。ジェラードの高速ロングパスも、ランパードのポジショニングも、アンリの速度も、テリーの飛び込みも、シェフチェンコの高速ドリブルも、ネドヴェドの剛脚も、このチームにはない。
 そしてアーセナルは、FAカップ決勝でPK戦の末、マンUを敗り、なんとか一冠を死守してシーズンを終えた。だが、このゲームも何とか無得点に抑えたが、それは相手のシュートが正確性を欠いていたのと、レーマンの(珍しい)好守があったからで、内容では完全に押されていた。アーセナルの今シーズンの悲願はFAカップではなく、チャンピオンズリーグの方にあったのだから、プレミア2位、FA優勝も霞んでしまう。その上、ヴェンゲルが、このやり方を貫くなら、アーセナルがチャンピオンズリーグを制覇することなどなかろう、という論調も多い。昨シーズン無敗で乗り切ったプレミアリーグでの優勝をチェルシーに持って行かれたせいだ。それも終盤はチェルシーの独走を許し、チャンピオンズリーグもベスト16でバイエルンに完敗している。このチームが好調時の力は誰もが認めているが、その力が出せないとき、アーセナルはあっさり敗れてしまう。鬼気迫る戦いが見られない。ショートレンジからミドルレンジでのワンタッチ、トゥータッチのパス交換から一気に相手のゴールに迫る好調時、そしてミッドフィールドを潰されはじめると、浅いバックラインが崩壊し、あっさりと失点を喫する敗北のパターン。このチームには相手チームのスカウティングよりも、自分たちの方法の方が重要なのだ、というサイモン・クーパーの指摘は当たっている。昨シーズンのチャンピオンズリーグで当たったインテル戦を思い出せば、彼の指摘の正しさは倍増する。ホームで中盤を潰されて完敗し、アウェイでは実に6点を奪って完勝。見事に勝つか、あっさり敗れるかどちらかなのだ。しぶとく引き分けるとか、負けゲームを勝ちに持ち込むとか、そういうゲーム展開とは無縁だ。
 このチームへの批判をまとめると、選手層が薄いから故障者の十分な穴埋めができないし、ターンオーヴァー制ができない、といったものが多い。それらは至極まっとうな指摘だ。チェルシーに比べれば「貧乏」だし、選手を使い回さなければ勝てない。セスクやフラミニといった若い選手が出られるのも、このチームの選手層の薄さの反映でしかない。だが、それ以上にこのチームを覆っているのは美しいフットボールの誘惑ではないだろうか。浅いディフェンスライン、フラットな中盤、未知のスペースに連続して出されていくパス……。好調時のアーセナルはモダンフットボールの快楽に酔いしれている。このチームを支えているのは、美と速度への快楽であって、勝利への執念ではないのだ。相手チームとゲームをするのではなく、フットボールについての自らの理念の実現をめざしてゲームをしているかのようだ。選手の入れ替え、ディフェンスラインの強化といった数字上の辻褄を合わせてもこのチームがチャンピオンズリーグを制することはないだろう。これはモラルの問題だ。勝利へのリアリズムよりも、フットボールのイデアリズムが勝利するチーム、それがアーセナルだ。