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June 6, 2005

『ミリオンダラー・ベイビー』クリント・イーストウッド
渡辺進也

[ cinema ]

 アカデミー作品賞受賞作品。ヒラリー・スワンクは主演女優賞を受賞し、モーガン・フリーマンは助演男優賞を受賞。イーストウッドは監督賞を受賞した。前作の『ミスティック・リバー』に続き、アカデミー賞がイーストウッドを無視することができなくなっている。
 Tough ain't enough.
 すでに30歳を過ぎ、ウェイトレスをしているマギー(ヒラリー・スワンク)は、優れたボクサーを何人も育てているフランキー(クリント・イーストウッド)に指導を請う。彼女はフランキーのジムで勝手に練習を始め、トレーナーになるように繰り返しお願いする。女には教えたくないと拒否するフランキーにマギーは言う。「絶対に後悔させないわ。私、タフであることだけには自信があるの」。その言葉に対してフランキーはそっと呟く。「タフであることだけでは十分ではない」。ボクサーは厳しい練習に耐え、相手に殴られても形勢が不利であろうとも最後まで諦めない。技術とともに必要になってくる精神力、そのことはタフであることではないのだろうか。実際フランキーはマギーにタフであることを教えようとはしていない。フランキーのマギーに対する指示は「自分自身を守れ」ということである。それに対して、マギーは強烈なパンチで相手を次々に倒していき、相手に自分を攻めさせない。まさに、そこにあるのはタフであることのように見える。そんなマギーにフランキーは「自分自身を守れ」と何度も言う。フランキーはリングのコーナーでマギーを見守ることしかできない。マギーを守るために危険な試合をさせないようにする。だが、マギーはタフであることによってチャンピオンシップまで上り詰める。
 それほど多くの映画を見ているとは言えないが、僕はイーストウッドが映画の中で死ぬのを見たことがない。映画の中でイーストウッドはどんなに苦境に立たされても、命を狙われようとも、常に生き残っている。その理由は「タフであることが十分でない」ことをわかっているからではないだろうか。よく言われることだが、イーストウッドは自分の身体を傷つける。老いていく自分の身体を画面に曝け出す。そこにあるのはただのタフさではない。そのことを考えると、『ミリオンダラー・ベイビー』は「タフであることだけでは十分ではない」ことを知っているフランキー=イーストウッドが、マギーに、あるいは自分より若い者たちに「タフであることだけでは十分ではない」ことを教えようとする映画であり、そのことが上手くいかないことを描いた映画ではないのだろうか。
「タフであることだけでは十分ではない」ならば、なにがあれば十分であるのかという問いは立てられない。ただ「タフなだけでは十分ではない」ということだ。しかし、そのことを本当に理解することは難しいことだ。『ミリオンダラー・ベイビー』はそのことを教えてくれる。フランキーとスクラップ(モーガン・フリーマン)、そのことを知っているふたりの男は生き残り、静かに椅子に座っている。彼らは決して敗者ではない、しかし同時に勝者でもないだろう。

『ミリオンダラー・ベイビー』
丸の内ピカデリー1ほか全国松竹・東急系にてロードショー中