『世界』ジャ・ジャンクー須藤健太郎
[ cinema ]
ジャ・ジャンクーの新作は『世界』と題されている。なんて大きなタイトルだろうと思ったが、しかしいかにもジャ・ジャンクーらしいという気もした。ジャ・ジャンクーはいつも「世界」を描いてきたからだ。『プラットホーム』にしろ『一瞬の夢』にしろ、彼はいつも中国の田舎を舞台に若者たちの行動を丹念に記録していた。「地域的なものに留まれば留まるほど、世界的なものになる」というジャン・ルノワールの言葉をまるで裏付けていくかのように、ジャ・ジャンクーはその土地やそこに広がる風景、俳優たちの一挙手一投足をフィルムに捉え、それを徹底することで、そういったローカルなものたちがより大きな「世界」へと通じていくことを証明していた。つまり、彼はそこにある世界をただ捉え続けてきたのだ。
『世界』もまた前作までと同様に、ノイズに満ちあふれた映画だ。冒頭、黒い画面に「バンソコウない?」という声が何度も響き渡るのだが、どう形容したらよいのかわからないゴソゴソとした雑音とともにその声は叫ばれている。全編に渡って中心となる女優たちのはしゃぐ甲高い声も印象的だ。すごく耳に残るのである。
ところで、今回の舞台は、中国の片田舎ではなく、北京である。といっても、北京という都市を舞台にしているわけではなく、そこにある〈世界公園〉というテーマパークが主な舞台になっている。〈世界公園〉とは、ピラミッドやエッフェル塔、ピサの斜塔など世界のモニュメンタルな建物のミニチュアが並ぶ世界の縮図である。しかし、『世界』はその世界の縮図をこれが世界だと主張するでもなく、また本当の世界はその外に広がっているのだと言うのでもない。そこもまた世界なだけだ。
主人公は〈世界公園〉のダンサー・タオ。その公園で催されるステージのショーを取り仕切り、みなから「姐さん」と慕われている。しかし、ステージ上で注目を浴び、人から頼られる存在であっても、恋人とのことや将来のことなど誰もが抱く悩みを抱えて彼女は生きている。いつも笑顔でいる彼女が時折見せる不安げな表情。彼女は自分が本当に人に必要とされているのか、自分の存在に対して不安を抱いているのだ。だからだろうか。タオはいつも腕に鈴をつけている。彼女が動くたびに鈴が鳴る。その音もすごく印象的で、耳に残った。
うまく言葉にできないが、こういう映画を見ていないと感覚が鈍っていくと思った。