『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』ニルス・ミュラー月永理絵
[ cinema , cinema ]
『ミリオンダラー・ベイビー』のラストシーン、イーストウッドらしき人物が小さな店のカウンターに座る様子が、窓の外からぼんやりと映される。その光景を目にしたとき、私は何の言葉も感情もそこに投影できなくなってしまった。それは、そのドアの向こう側には絶対に踏み込めないという確信めいた何かがあったからだ。ただぼんやりと見つめるしかないし、永遠にその光景を見ていることはできないのだと思った。
ショーン・ペンの部屋や職場には、大きなテレビが置かれ、そこからいつもニクソン大統領の声が聞こえてくる。大きなテレビや広い部屋は、彼の生活能力とは不釣り合いに見える。だが、職を失い家賃を払えなくなっても、彼の周りからテレビの画面はなくならない。いつしか彼は、テレビに向かって言葉を投げかけるようになる。『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』は、家や仕事場が主な舞台となっている。ショーン・ペンはいつも車の中からそこに出入りする人々を眺めている。どこか薄汚れた車の窓ガラスや、家のドアや工場の窓越しに、彼は世界を見つめている。彼と世界との間には、いつも四角い枠が挟み込む。まるで、テレビのブラウン管を通してニクソンと向かいあっているように。だから、彼は本当に目の前に誰かが座りしっかりと目を見て話をしようとすると、なぜだか落ち着かずその目を見ることができない。遠くを歩く兄を車の中からじっと見つめていたにも関わらず、兄が不動の姿勢で彼の目の前に立ったとき、ふたりの対話はまったく噛み合わないものとなってしまう。そして殺そうとした元上司とレストランで向かい合ったときも、彼はすごすごと逃げ出してしまう。
飛行機の中で、彼はようやく誰かと対話をすることになる。自分に向かって「助けて」と叫ぶ女の顔が画面いっぱいに広がり、彼の動きは少しの間凍りつく。そしてその女の後ろからは、飛行機の窓越しにこちらを狙う銃口が見える。「助けて」という叫びは間違いなく、他の誰でもない彼自身に向けられた言葉であり、銃口は自分だけに向けられている。そうして、彼は初めて自分に向けられた対話を受け止める。だが、彼が銃弾に倒れても、飛行機の窓があくことはなかった。自分を撃った相手、対話をしようとした相手の姿を、最後まで目にすることはできなかったのだ。
彼の起こしたニュースがテレビから流れるとき、彼の友人は画面を見つめていない。1台の車と大きなテレビを持っていたことが、彼の最大の悲劇だったのかもしれない。まったく関係ないが、この映画を見終えたあと、パソコンに向かって日記を書くことだけはやめようと考えた。四角い枠を挾むことでしか世界と対峙できないのは、なんだかとても悲しいことに思えたのだ。