「全身での身の任せきり──丹下健三の日本」磯崎新(「新建築」7月号)梅本洋一
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「新建築」7月号に掲載された磯崎新の文章を極めて興味深く読んだ。戦前から戦争中に至る丹下の仕事を、立原道造が彼に宛てた手紙などから丹念に拾い、ル・コルビュジエの賞賛から大東亜建設忠霊神域計画の間にあった丹下の変節を「全身での身の任せきり」という文字どおり「身体的な」タームですくい取っている。丹下が変節したのは、多くの日本人たちが変節した敗戦──つまり大東亜共栄圏から広島ピースセンターの間──をきっかけにしているのではなく(「大東亜」から「広島」まではむしろ一直線なのだ)、その明晰性と単純さは、「国家」に「全身での身の任せきり」という姿勢から来ており、それは決して弱さではないのだ。そして、磯崎の仕事は、「国家」とは「全身で身を任せる」に値するものなのか、という疑問から出発しているという。
同じ「ファシズム建築家」のレッテルを貼られたジョゼッペ・テラーニ──何しろ彼は「ファシストの家」を作っているのだ──と丹下との比較も明解である。建築も時代と共にあり、時代と切り離して建築は成立しないのだが、もしジョゼッペ・テラーニの作業が時代から切り離せるとすれば、そのコンクリートの矩形の構造物にファシズムの香りを嗅ぎ取ることなどほとんど不可能になる。大阪万博以降、「国家」の力が衰え、自らの仕事の場を、日本以外に求めねばならなくなる丹下の姿は、彼がいかに明瞭に、「国家」とその時代の「記号」を自らの意匠に纏わせたかを見れば明らかになるだろう(テラーニそしてアルベルト・リベラの空間と、70年代初頭のベルトルッチの『暗殺の森』『暗殺のオペラ』には極めて濃厚な関係があり、そこでの空間構成と、『ドリーマーズ』のエッフェル塔の歪みには言及しなければならないだろうが、それは別の機会に譲ろう)。
そして磯崎は、大阪万博以後、自らの仕事を開始する。丹下が「全身での身の任せきり」にした「国家」がそのとき相対化されるのは自然な成り行きだ。「全身での身の任せきり」という、ほとんど理由を欠いた信仰にも似た態度表明に、磯崎が対峙させるのは寺山修司の短歌だ。「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし/身捨つるほどの祖国はありや」。自作から徹底して「日本」を消し去ろうという磯崎の試みが始まることになる。その磯崎が、最近、「和洋」を語り始めることは注目すべきだ。
そして今、「国家」は、「日本」はどんな様相を呈しているのか。磯崎は、「9.11以後、(……)「日本」をみにくい貌のまんま引き出そうとする人が増え始めた」と書く。
この文章を読んだ日の夜、テレビでは、ロンドンのチューブで同時多発テロに遭遇した人々が、彼らが見た「みにくい」光景について涙ながらに語っていた。