『アート・オブ・インプロヴィゼーション〜キース・ジャレット・ザ・ドキュメンタリー』影山裕樹
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このDVDはキース・ジャレット本人やECMのマンフレート・アイヒャー等のインタヴューを中心にしてマイルス・バンド在籍時のライヴ映像やソロ、スタンダード・トリオ等のコンサートの映像が納められた、現在までのキースの仕事を網羅的に扱ったドキュメンタリーである。昨年も素晴らしい来日コンサートツアーを果たし、今まさに私たちのような若いリスナーにもとても身近な存在であり続けているキースであるが、彼本人の音楽に対する発言が収められているこのDVDが発売されたとあっては、飛びつかずにはいられない。しかし少々物足りなかったのは、やはりこの手のドキュメンタリーにありがちなことだが、キースの音楽性のもっと内面を掘り下げる部分がほしかった。
キースには様々な仕事があるが、この中で語られているエピソードでひとつあげれば、長い病気の後、2分とピアノを弾くこともできず、家にこもりきりだったキースが妻のローズ・アンに贈った『The Melody At Night, With You』についてだろう。長い間演奏中断の時期にあったキースが、クリスマスくらい妻に何かプレゼントしてあげられたらと思い贈ったと語られている。これがキースの復帰第一弾であり、またソロによるスタンダードの演奏としては初の録音でもある。繊細で情熱的、いやむしろ情熱がなければ不可能である彼の演奏をひと目見てみれば分かることだが、張り詰めた音楽性の追求はとても健康的ではない。しかしだからこそ、1998年に録音されたこのアルバムで、自分のところから始めたかった、と彼は言う。「病気とは教師だ」と。「病が音楽を生み出した」とさえも。ドゥルーズの言葉を、少々長いが引用しよう。「神経症や精神病というのは、生の移行ではなく、プロセスが遮断され、妨げられ、塞がれてしまったときに人が陥る状態である。……それゆえ、そのような存在としての作家は病人なのではなく、むしろ医者、自分自身と世界にとっての医者である」(『批評と臨床』)。
キースはどこかで、私は音楽を生み出しているのではない、私という媒体を通して創造の神から届けられたものである、と語っていたが、まさにバッハの純粋な信仰としての音楽のありようと似ている。キースの音楽をもっとも表現している言葉を挙げれば、それは「即興」ということになるが、いわゆるフリーといわれるようなオーネット・コールマンやセシル・テイラーの音楽とキースの音楽には違いがある。キースの場合、私が感じるのは、常にどれも彼自身に似ているということだろう。いや、もちろん演奏するその人から解放されてこそ本当の意味でフリーであるのだろうが、彼自身困難を感じながら常に格闘している、「キース自身」のエモーションがベースにあって、それを逃れようにも逃れることのできない、絶対的な「媒体」としてのキース自身の身体が刻まれてあることこそ、フリーの行き着く先なのではないだろうか。立ち上がり、うなり声を上げながら演奏するキースのスタイルは忘我の状態に近いが、その都度生み出される旋律はいつも彼に似ている。それを見て私はフリーであることが、あらゆる鎖から解き放たれることではないのだということを、改めて認識する。キースが即興を自らの音楽の中心として置く時、そのストイックな姿勢が、彼を形式的なフリーから隔てて、その都度生み出される素晴らしいフレーズが、他の何よりも、彼自身にとって美しく響くためのフリーの道を歩ませたのではないか。私たちがキースの演奏を聞くということは、自分のために演奏する、キース自身を聞いているのであって、それを素晴らしいと感じるということは、他の何よりも、自分のために聞いているのである。私たちの中の、ある抗し難い、小さな健康のために。