チェルシー対アーセナル 1-0梅本洋一
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ドログバの膝に当たったボールがゆっくりとバウンドしながらアーセナルのゴールマウスに吸い込まれるのを、レーマンもセンデロスも見つめるしかない。緊張感にあふれたゲームは、小学生の試合でよくあるゴールによって結末を迎えた。アルセーヌ・ヴェンゲルのアーセナル500ゲーム目はあっさりと終わった。
終わってみて思うのは、このゲームの分水嶺は、両チームのミッドフィールドにあったということだ。ランパード、マケレレ、グジョンセン対セスク、ジウベルト、フレブ(前回フレグと記述し荻野洋一から親切な指摘をもらった。多謝)の前半は、アーセナルの勝ち。ピレス、アシュリー・コール、ラウレン(これも昨年まではローレンと呼んでいたが、スカパー!の八塚、西岡の両アナに従ってラウレンとする)が自由に動いていた。だが、後半になって、グジョンセンからエシアンに、ダフからショーン・ライト=フィリップスに代わると、セスクとアシュリー・コールの上がりがかなり押さえられ、ランパード、マケレレがゲームの中で目立つようになってきた。するとフレブが消え始め、アーセナルの両翼も下がり気味になってくる。前半はセンターFW(クレスポ)に収まらなかったボールが、後半はドログバに集まりだし、センデロスがディフェンスに忙しくなる。こうなると、浅いラインを常に保とうとするアーセナルは辛い。ドログバの身体能力の高さにセンデロスが振りまわされ始めるからだ。キャンベルならどうだったか?
そしてもうひとつの疑問。アーセナルは1点を追いかけねばならないときに、セスクをフラミニに代えている。確かに前述の通り、セスクは運動量が落ち始め、パスがブレ始めていたのは確かだ。だが、同点にしたいなら、アンリにもファン・ペルシにもラストパスを供給できるベルカンプではないのか? 彼を一枚入れることで、マケレレ、ランパードの位置が少し下がり、ミッドフィールドに空間が生まれ、ピレスとフレブが再生したのではないか?
まだ拘りたいのだが、アーセナルのスタイルはあまりに形骸化しすぎているのだろうか? このゲームに関する限り、そうではない。モウリーニョは明らかにアーセナルのスタイルを消しにきていた。多くの前例が示すとおり、それはミッドフィールドを消すことだ。パススピードを遅延させ、流動的な運動感を断ち切ることだ。若くスピードのあるふたりの投入は明らかにそれを狙っていた。モウリーニョのアクションに対して、ヴェンゲルは動かない。ゲーム中にスタイルを変えることはしない。アーセナルのスタイルはそれ自体、リゾーム的なものだが、リゾームが形骸化すると、その水脈に水が流れなくなる。パススピードやパスの長さを変えずにフォーメーションを変える、つまり4-4-2から4-3-3へ、あるいは4-4-2から3-3-3-1へとフォーメーションそれ自体にも運動感を持たせると、アーセナルのスタイルはより一層輝くのではないか。頑固さも必要だが、より一段高いフットボールへのチャレンジはもっと素晴らしいことだ。