「昭和住宅メモリー」X-Knowledge Home No.5梅本洋一
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そうだ! そういうことだったんだ! いつも意欲的な特集を組むX-Knowledge Homeの「昭和住宅メモリー」を眺めていて、思わず「ユリイカ」だった。つまり、今、なくなりつつある風景を惜しんでいるぼくらは、単にノスタルジーに浸っているわけではないんだ。丸の内が変わり、三信ビルが取り壊されようとしていて、国際文化会館が取り壊されてしまい、六本木ヒルズに嫌な感じがしているぼくらの風景のルーツは、東京の近代のモニュメントをつくった丹下健三にあるわけではない。それは清家清や土浦亀城などの昭和の住宅にあった。
確かに東京にも路地が繋がっていて、路地から「表通り」に出れば、そこには昔からある程度の高層のビルはあった。でも、路地でキャッチボールをしていたぼくらにとって、それまでの長屋のようなバッチィ造りの住宅の中から、素敵な住宅が建ったのを見つけたとき、少しだけ風景が素敵になった気がしたものだった。それはダイアハウスやパナホームに頼んで新築してもらった「三宅さん宅」や「池上さん宅」ではなく、昔は数少なかった住宅を建てる建築家の作品だったのだ。清家清自邸や土浦亀城自邸はもちろんだけど、ぼくが80年代に住んでいた東中野と大久保のちょうど中間にあって、ジョギングコースにしていたところ(今もある)広瀬鎌二のSHシリーズの一軒が建っていた。細い坂道──ジョギングには最適──に沿って、スチール製の長方形の空間が宙に浮くよう配置されていて、とても印象的だった。坂道の上には、東中野小学校や飯田深雪邸などがあった。広瀬鎌二のSH-60は、平屋と2階屋建ち並ぶそうした風景の見事なアクセントになっていた。
風景とは、一見統一体にも見えるそうした住宅街にあるわずかな亀裂によって、いっそう印象的になるだろう。広瀬鎌二は工業製品を住宅に大幅に取り入れたことで、同時代としてはアヴァンギャルドだったとは思うが、ぼくがジョギングしていた当時、彼の家は見事に風景に収まっていた。それまで何の特徴もない風景に、一軒の住宅によって、亀裂が入れられ、次第にその亀裂が定着しながら風景はアモルフに変容を続けていく。清家清の創造した懐かしさにも似た風景──清家清自邸──も、まず自らの小住宅が建設され、隣接して増築され、さらに隣に「倅の家」が建てられる。年月を経て風景もインテリアも変容しながら、適度の趣味の良さを保っている。かつてあった何本ものストリートを更地にし、高層建築と緑地のセットで別の空間を設けることは、そうした穏やかな風景の変容と対極にある。「昭和住宅メモリー」を見て、ぼくはそう考えていた。