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September 5, 2005

『シャーリー・テンプル・ジャポン・パートⅡ』冨永昌敬
結城秀勇

[ cinema ]

 はじめに流れる「パート1」では、コマ落とし、引きでの長まわし、サイレントという要素によって、これまでの冨永作品とは異なった世界が展開される。中でもこの「サイレント」という要素については、監督自身が公式サイトにて熱く語っていることでもあるのでそちらを是非見ていただきたいのだが、とにかくもこの『シャーリー・テンプル・ジャポン』の「原型」がサイレントであったというのは(そう、「パート1」はサイレントではない)大事なことだ。
 奇しくも「パート2」における杉山彦々の台詞、「聞こえたらそれが音なの!」のとおり、「パート1」にもまた音は満ち溢れている。鳥のさえずり、虫の羽音、そしてスピーカーからとめどなく流れる選挙の公約。そう、『シャーリー・テンプル・ジャポン』は「パート1」にいたって初めて「約束」を持つ。それまで彼らは「約束」のない場所で、金銭や性交による報酬を待ち続けていたということだ。
長まわしの「パート1」が「パート2」へと変容するにあたって、変化するのは画面の造形的な部分だけではない。「パート1」では、この作品がもつ40分という時間そのままのリアルタイムでの進行に思えた物語だが、「パート2」ではどれだけの時間を含んでいるのかが曖昧になる。見ようによっては一晩を越しているようにも見えるし、そうでないようにも見える。空間的な配置を一望するショット──果実が枝から離れ、人が樹から落下することを暗示させる石段を視野に含んでいる──は解体され、そのひとつひとつの要素間にどれだけの空間的時間的な距離をはらんでいるのかはわからなくなる。
 そんな「パート2」で増幅されているのは情動であり、それもまた音の力によってである。フランス語のナレーションという特殊な方法によって、登場人物たちの特殊な内面は描写されるだろう。いやそんなことよりも、彼らが大いなる努力をはらって増幅する音は、ことに及んでいる最中の女性の歓喜の声なのであって、その音が発せられることで彼らもまた歓喜するのだ。そこで「約束」は果たされる。
 行為の主体は姿を見せぬまま、だらだらと際限もなく交わされる「約束」とは異なり、冨永昌敬は『シャーリー・テンプル・ジャポン』を更新するたびごとに、その音によってひとつずつ「約束」を果たしていくだろう。老人の深夜徘徊を許さず、子供の家出を許さない、あるいは遅刻、早退を許さない、そんな早すぎも遅すぎもしないちょうどよいタイミングの「約束」ではなくて、ある意味過剰なまでに時間ギリギリな、いま果たされるべき「約束」を。


池袋シネマ・ロサにて公開中