『ある夜、クラブで』クリスチャン・ガイイ(野崎歓訳)梅本洋一
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本当に久しぶりでフランス語の小説を翻訳で読んだ。この小説を読んだのは、野崎歓の『五感で味わうフランス小説』に紹介されていたからだ。こんなストーリーだ。「かつては聴衆の胸を熱くする刺激的な演奏で鳴らしたジャズピアニストが、いまでは工場の温度調節を管理するエンジニアとして地道に暮らしている。ジャズや夜の世界の魅惑から遠く離れて。ところがある晩、ひょんなことから、地方の町のジャズクラブに案内される。これまで断ってきたアルコールを口にし、ライブ演奏に耳を傾けるうち、忘れかけたジャズピアニストの胸の動悸は高まっていく」(「訳者あとがき」から)。かつて一世を風靡していたが、クスリと女まみれのその世界から、妻の力で足を洗い、「まっとうな」生活をしているシモン。彼が主人公だ。だが、久しぶりの音の饗宴には耐えられない。ピアノトリオの面々が休憩に引き上げるとピアノの前に腰を下ろし、両手と指を見つめ、そしてその指をキーボードに下ろすことになる。そして、そのジャズクラブのオーナーはデビーという中年のアメリカ人女性。彼女は、もと歌手で、もちろん、シモンの演奏を聞くと唄ってみたい気持ちを抑えることができない。「You have changed」など、ジャズの素晴らしいスタンダードが唄われる。もちろん小説だから聞こえてくるわけではないけれど、どの曲も知っている(そして唄うことだってできる)ぼくの心は震え始める。「今晩ここで演奏したのは、ただちょっと知りたかったんです。何を? とデビー。あなたと僕と、まだ本当に生きていると言えるのかどうか」。
もちろん小説だから、説話上もいろいろな工夫がなされている。シモンの妻のシュザンヌのこと、息子のジャミのこと、そして「語り手」の「私」のこと……。さらに、ここが港町であり──いったい海に近い街以外のどこがジャズに似合うというのか?──、海に近く、パリからそこそこ離れていて──おそらくノルマンディ地方──、「まっとうな」生活からも少しは距離のある場所でなければならないことなど、たくさん工夫はある。でも実際、読んでみると、そんな工夫を越えて、かつて自分そのもの、いや、世界そのものだった何かを自らに禁じて、そして禁じることが生きる唯一の術だったのだけれども、それは本当に生きることかどうか疑わしくって……その瞬間に、かつて自分と世界そのものだったものが、自分の目と耳に突然、押し寄せてきて、さらにそこで聞こえてくるピアノの演奏法が、かつて自分がやってきたことに大きな影響を受けていることを感じてしまったら、もう誰でも、帰りの列車の時間のことなどどうでもよくなって、キーボードの上に指を下ろして、まだぼくは生きていることを確かめざるを得ないだろう。そして、そのジャズクラブのオーナーがデビーという名前なんて、偶然であるどころか、凡庸なくらいでできすぎているのだけれど──ビル・エヴァンスの「Waltz for Debbie」だ!──、そんなことはどうでもよくて、ぼくもジャズのスタンダードのヴァーカルやビル・エヴァンスのCDを久しぶりに引っ張り出して聞いてしまった。ところで、こう書くぼくは、まだ本当に生きているのだろうか? とりあえずMerci, Christian Gailly!