『初代総料理長サリー・ワイル』神山典士梅本洋一
[ book , cinema ]
大学時代、祖父から日本のフランス料理にはふたつの系統があり、それは帝国ホテル系とホテル・ニューグランド系だと聞かされたことがある。祖父は、生粋の浜ッ子だったから、ホテル・ニューグランドへの愛着を込めてそう語っていたのだと思っていた。だが、それ以後、実際にフランス料理を食し、フランス料理についての書物を書いたり読んだりするにつけ、ホテル・ニューグランドとその初代総料理長サリー・ワイルの力の大きさを実感していた。大学時代に当時の彼女をバイト代を貯めた資金でホテル・ニューグランドのスターライト・グリルに誘い、横浜港の絶景を見ながら食べた超トラディショナルなフランス料理の味は、その後、フランスに滞在した間にも食べたことがなかった。「古き良き」という形容詞がこれほどぴったりくる「フルコース」にはその後出会ったことはない。
もちろん、ぼくも横浜生まれで、スターライト・グリルではないが、そのホテルの1階のカフェで食べたカレーライスやハンバーグの味で、「洋食」の味を覚えた。パリに住んでいた当時、日本料理を恋しいと思ったことは一度もないが、ニューグランドのハンバーグやカレーが懐かしくなって何度も自分で作った。パリのハンバーグ──ステック。アッシェという牛挽肉しか使っていないパサパサした焼き物──やカレー──これはカレーと呼べる代物ではなかった──がまずかったからだ。つまり、ぼくの洋食やフランス料理は、同時代のパリのフランス料理ではなかったのだ。サリー・ワイルがスイス人だったからだろうか。それともホテル・ニューグランドのフランス料理は余りにもジャポニゼ(日本化)されていたからだろうか。いろいろなことを考えた。
この書物はノンフィクション・ライターの神山典士の力作だ。サリー・ワイルの足跡を辿って、彼の薫陶を得たシェフたちに話を聞いたりスイスまで足を伸ばして存命している彼の姪に会ったりしている。ノンフィクションの王道を行く書き方だ。なぜ彼は横浜のホテルのシェフになったのか。エスコフィエ流の料理が作れたのはなぜなのか。この書物を稼働させる原動力になる疑問はこのふたつだ。そして、資料的な裏付けと行動力で彼の文章は読む者を飽きさせない。晩年、スイスに帰ってから食料品の営業をしながら、渡欧してきた日本人シェフたちの世話をする姿は感動的だ。その最後の世代にはぼくが実際にその料理を食べたことのあるシェフたちも出てくる。皆、ワイルに繋がっているのだ。そう、とても興味深いし、最後まで一気に読めるのだが、物足りないところもある。それは、著者が、ニューグランド系の料理をどう考えているのか、ということだ。料理の記述は出てきはするが、ワイルの料理の魅力が書いてはあるが、その味をかつてのシェフたちと著者は共有するのだろうか。そして、同時に、いかにワイルの業績が優れたものであろうと、現在のニューグランドの料理はあまりに保守的すぎないのか。そして、さらにワイル系のフランス料理と今のフランス料理のもっとも大きな差異は何であり、それは社会や歴史のどんな部分の反映なのか。そうしたことも読みたかった。