『Dogtown & Z boys』ステイシー・ペラルタ結城秀勇
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回収や再利用は戦争につきものだし、あるものを二度、それもまったく異なった目的のために利用するのは、要するに戦争のポエジーなのだ(『黄金の声の少女』ジャン=ジャック・シュル)。
ルート66のつきる場所、ドッグタウン。その南にある「ヴェニス、カリフォルニア」は、「パリ、テキサス」と同じようなアメリカの内部の様々な場所にある世界の断片のひとつだ。運河を巡らせ、もうひとつのヴェニスをつくりあげようという試みは、「POP」と呼ばれる海を利用したテーマパークへと受け継がれ、60年代に突然の荒廃を見せるまで人々を惹き付けた。その後、「西のコニーアイランド」とさえ呼ばれたその場所の周りから人の影は消え失せた。
うだるように蒸し暑い日、あるいはさえない日を英語では“dogday”と呼ぶのだそうだが、本作はそんな日々が続く日常を吹き飛ばす、一陣の旋風(zepher)を名乗った少年たちの物語である。フラフープやアメリカンクラッカーと変わりのないようなスケートボードという遊具をまったく別種のスポーツに高めあげたひと組のグループについてのドキュメンタリーである。
私がこの物語に魅せられたのは、彼らのスタイルや発想があまりに独創的だったからだけではなくて、この物語が反復に付きまとわれているからだ。彼らはあくまでサーフィンの代用としてスケートボードに乗る。午前10時をすぎると波はもうサーフィンには適さず、彼らにはまだ腐るほどの時間があった。そこでその時間の間、彼らが憧れるサーフィンのプレイを陸上でコピーするためにスケートボードを彼らは手にとるのだ。
そもそもスケートボードは50年代末に、サーフ文化の高揚とともに登場しすぐに衰退する。忘れ去られていたスケートボードは、彼らがサーフィンできずに午後を持て余していた丁度その頃に、車輪の素材を新たに開発することで再びブームがやってくる。そして彼らがスケートボードを手に向かうのは、コンクリートで造成した人工の地形、あるいは干上がったプールだ。新素材で効率良く作ったためになんの使い道もなくなったデッドスペース、あるいは金持ちのステータスだが記録的な水不足のために空っぽのすり鉢と化したプール。そんな場所を彼らはこの上なく魅力的なプレイグラウンドに変える。
だがそんな彼ら自身も、歴史の反復の渦の中に巻き込まれていく。かつてスケートボード自体が被りかけた忘却に比べれば、現在に続くプレイスタイルの創始者である彼らは、栄光を手にしたとも言えるかもしれない。しかし資本の要請でスケートボードが新たなおもちゃにとって変わられようとしたのと同様、このチームだからこそなし得たプレイスタイルで世にうって出た彼らは、各個人のスタイルを企業に買収されてチームは解散する結果になる。
「俺たちのスタイルを認めさせるための戦争だった」と、メンバーのひとりは振り返る。しかしこの戦争は当事者が気付いた時にはすでに、身の回りのものを思いもよらない方法で再利用する彼らのレジスタンスだけでは戦い抜けないものになっていたのだ。