『残像』クオン・ヴー藤井陽子
[ music , sports ]
気鋭のトランペッター、クオン・ヴーがNYに拠点を移したのは1994年のこと。それ以後ニッティング・ファクトリー周辺のミュージシャンたちとセッションを重ねていくなかで『Bound』『Pure』『Come Play With Me』といった彼のリーダーアルバムが生み出されたが、それをラジオで聞いていたのが、パット・メセニーだったという。パット・メセニーは電話帳を開いてクオン・ヴーの名前を見つけだし、電話をかけ、そして出会ったそうだ。パット・メセニーの『Speaking of Now』『The Way Up』にクオン・ヴーの名前を見つけることができるのにはそういった出会いがあった。
クオン・ヴーの最新アルバム『残像』(原題は『It's Mostly Residual』)は、パット・メセニー・グループ参加を経たのちの初めてのアルバムだ。ミュージシャンには武石務(b)、テッド・プア(ds)、そしてゲストにビル・フリゼール(g)を迎えている。
1曲目の「It's Mostly Residual」は、ひとつの音が一定のリズムをかすかに確実に刻んでいるのが聴こえることからはじまり、その音のまわりにクオン・ヴーとビル・フリゼールの重なり合ったメロディーがしなやかな線を描き、形をしだいに変えながら、残像のようにズレながら、その世界を大きく膨らませていく。2曲目の「Expressions of a Neurotic Impulse」の冒頭でもクオン・ヴーはひとつのフレーズを息つく間もなく繰り返すことではじめている。それがだんだんと混沌としたものに形をくずしていっても、それはくずれていったまま崩壊することはなく、不意についさっき聴いたフレーズが聴こえるなど、細い糸でわずかながらに繋ぎとめられながら爆発的なエネルギーで展開している、といった感じだ。即興的な側面があるにしても、まったく文脈の異なる異物が不意に際限なく組み込まれていくというよりはむしろ(そこに音の静寂や絶叫があるとしても)、十分に練られた末に捻出された意外性のあるリズムや音の応酬がそこに聴かれる。カサヴェテス的即興と言おうか。そこで私の興味を惹いたのは、クオン・ヴーの音の反復だ。彼自身がトランペットで反復することもあれば、音をエフェクトさせて反復させることもある。音からほとばしるイマジネーションの豊富さと、この頭を全開に解放する感じは、どこか反復によってもたらされるんじゃないか。テクノの快感は反復の快感と言えると思うが、クオン・ヴーの反復は微妙に形を変えるもので、言ってみれば残響音の反復だ(しかしそのなかで武石務は独自の「もうひとつの」メロディーをベースで弾きまくっていて、私はそれにも無性に惹かれてしまう)。クオン・ヴーのトランペットと彼が生み出す美しいメロディーは、パンと張った弾けるようなものというよりも、あいまいで輪郭のにじんだ響きをしていることが多いが、それでもこの音は、地平線の向こうまで響き渡ってしまうだろうなと思わせるような、確かな芯を持った秀逸で独特の響きをしていた。
ジャケットを見てみると、写真の表面に別の風景が写りこんだものを、もう一度鏡などに反映させたような不思議な光景が写っている。いくつもの残像が重なり合って、無数の残響音が溢れかえっていそうな、そんな場所だ。アルバムの中で聴かれる、形や色の寄せあつめ(Patchwork)、もろくぼろぼろになった、かん高い、鋭い(Brittle)、さえずり(Chitter)、ペチャクチャ、ガタガタ、キーキー(Chatter)、かすみ、くもり、にじみ、よごれ(Blur)、それらがたたみかけて変形していった残響音の集合体、それが溢れていそうな場所。
ともかく、彼らの実際にプレイする場所に行って、残響音の反復に身をさらしてみたい、そう思った。