前川国男自邸梅本洋一
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晩秋の寒い朝、クルマを飛ばして──といっても結構渋滞にはまったが──小金井公園の江戸東京たてもの園に行った。目的はただひとつ。前川国男の自邸を見ることだ。大田区にあった彼の自邸がここに移築されている。
広大な小金井公園の側を走っていると、いろいろなことを思い出す。中央大学で教えていた頃、江古田の自宅からこの辺を抜けてオートバイで通ったこと、いつごろまでだったか、樋口泰人がこの辺に住んでいて、出張料理人をしたことがあったこと……最近はまったくこの辺に来ていないこともあって、感傷的な気分になる。
公園の駐車場の一番奥に止めると「たてもの園」が近いとサイトに書いてあったので、その通りにすると周囲の枯れかかった芝生では、遠足の小学生たちがシートを広げて座っていた。その奥に「たてもの園」はあった。堀口捨巳の設計した住宅なども見たが、前川国男自邸は、やはり圧倒的だった。全体がスキーロッジのような屋根の木造建築。エントランスを入ると、突き当たりに書斎、そして左側に居間。これがいい。吹き抜けの窓からは冷たい冬の光りが貧しく差し込み、ふたつの応接セットとダイニングテーブル、そこにある4脚の椅子。奥にあるロフトへと続く階段、その奥右側には寝室、そして左側に台所、その間に風呂とトイレ。シンプル、必要不可欠、でも生きることの全部がここに集約されていて、まったく無駄というものがなく、そして同時に全面がガラス張りの壁からは、最上級の光りが差し込んでいる。ソファに座って、タバコを一服したくなるが、当然、ここは禁煙だ。もちろんロフトからも居間を見ろしたかったが、残念ながら居間からロフトに続く階段には「建物保護のため、立ち入り禁止」と記されていた。
一切の装飾が廃され、「いる」こと「すまう」ことへの足し算がまったくないこの空間での、そうした「居心地の良さ」はいったいどこに由来するのだろう。それにはル・コルビュジエからバウハウス、ミースに至る近代建築の総復習も必要だろうが、そんなことよりも、このシンプルさは、建築することの禁欲とそして同時に「いきる」ことについての長い思考の結果だと考えられるだろう。眠っていても微睡んでいても、そして仕事をしていても、食事をしていても、それとなく支えとなってくれる空間が、つまり逆に言えば、まったく何かを強制させることなく、そこが無機質の工場であるかのような無垢に見えるのだが、その背後には思考と計算の長い痕跡が存在しているような空間が前川国男自邸なのではないか。
スタンプラリーの小学生たちは、もっと装飾的な旧三井の屋敷などを楽しんでいたが、前川国男自邸の何もなさはとりあえず水のようにおいしい。