『ダーク・ウォーター』ウォルター・サレス月永理絵
[ book , cinema ]
鈴木光司原作で日本でも映画化された『仄暗い水の底から』の、ハリウッドリメイク作品である。映画の日本版は見ていないが、とにかく画面の暗い映画だ。離婚調停の最中で娘と暮らすジェニファー・コネリ−の姿には、慢性的な疲労と苦痛とが刻み込まれ、その陰鬱さが映画全体を侵食している。舞台となるルーズベルト島もまた、何とも奇妙な場所だ。
この島は、「ニューヨークでありながらニューヨークではない」。ニューヨーク、イースト川に位置するルーズベルト島は、マンハッタン地区からロープウェイで5分ほどの距離にある。もとは精神病院や救貧院がある島だったのが、現在はオフィスやホテルを含めた複合的な住宅地開発を行っているという。ジェニファー・コネリー母娘が住む集合住宅も、かつて「理想の村」というテーマのもと建てられたというが、眼前に巨大な塀が立ちはだかる光景は、まるで巨大な牢獄のようだ。この陰鬱な場所で、母娘はまた別の親子関係に巻き込まれていく。
ホラー映画とは言え、事件の真相に辿りつくまではしっかりとしたサスペンスの様子を見せる。部屋の天井から滴り続ける黒い水。階上の部屋にたまった大量の水。その部屋に住んでいた家族の行方。ナターシャという謎の少女の存在。離婚調停で揉める夫との関係。幼少時代のトラウマ……。謎が少しずつ解きあかされていく過程は、見事に良質なドラマに仕上がっている。だから、すべての謎が解きあかされた後のエピソードは果たして必要だったのかと、それだけが気になった。もちろんこの最後のエピソードこそ、映画の本題になるわけだけれど。
登場する女たち、3組の母娘たちはみなよく似通っている。そのために、カメラが動く度に誰かを見失い、また別の誰かを発見し、また見失うという繰り返しが起こる。ひとりを映したかと思えばもうひとりを画面の外に見失うような、そんな危ういカメラワークのせいでもある。親子関係がこうも簡単に入れ代わってしまう仕組み、それがこのアパートに巣食った呪いなのだろう。最後のシーン、娘はエレベーターに閉じ込められる。再びドアが開いたとき、娘には確実に何らかの変化が起きているのだが、父親はただ戸惑いの表情を浮かべるしかない。画面から消えている間、あるいはカメラのピントがずれた瞬間、彼女にどんな変化が起きたのかを私たちは知ることはできない。この映画の恐怖とはまさに、この「見失う瞬間」に対する恐怖なのだと思う。カメラの動きを見続けている限り、恐怖と不安は決して消えない。だからこそ、画面の外に姿を消してもなお「あなたをずっと見ている」という母の言葉が、恐怖から逃れる手段、つまり映画の終わりとなるのだ。
それにしても、最後まで陰鬱さを背負い続けたジェニファー・コネリーは、すばらしく魅力的な女探偵の体現だった。