『次郎長三国志』マキノ雅弘須藤健太郎
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新しくできた名画座シネマヴェーラ渋谷でマキノ雅弘の『次郎長三国志』を見た。『第三部 次郎長と石松』『第四部 勢揃い清水港』の二本立であった。『第三部』は、森の石松と追分三五郎との旅が中心に描かれ、『第四部』では、ふたたび清水に戻った次郎長一家と彼らが合流する。『第三部』からは、お仲さん役で久慈あさみがシリーズに加わるのだが、次郎長が清水に戻ることになって、若山セツ子演じるお蝶さんが出てくると、やっぱり彼女の方に目がいってしまうのだ。前に「次郎長三国志」シリーズについ通い詰めてしまったのは、若山セツ子が見たいというようなことだったのかもしれなかった。彼女は、不幸にも、1983年に首を吊って自殺した。たいした脚光を浴びることもなく、病気になって早めに引退をしてしまった女優であったようだ。
「次郎長三国志」シリーズは、マキノ雅弘の自伝『映画渡世』でも1章が割かれているように、彼の代表作だろう。それにしても、山田宏一と山根貞男によって編集されたマキノの自伝は本当に面白い。「次郎長三国志」に関しても、次のようなエピソードが紹介されている。撮影に臨んでいたある日、会社から一通の電報が届く。「ブタマツコロセ」。すでに脚本も書き上げ、ホン読みも終わっていたというのに、この電報のために、すべてが初めからやり直しになった。豚松役の加東大介を黒澤明の大作『七人の侍』に出すことになり、その出演に間に合わせるために送られてきた本社からの指令であった。そして、マキノは次のような電報を送り返した。「ブタマツゴロシ アナタノゴキボウニヨリヤッテミマス コロシヤマキノ」。かくして豚松は『第五部』で感動の最期を遂げる。
「私の破れかぶれの映画屋人生を、とにかく面白いから日本映画の興亡裏面史として本にまとめてみたらどうかと云ってくれたのが、先ず山田君で、「そんなこと云われても、わしは文章なぞ書いたことがないんや」と云ったら、「じゃァ僕らが助監督になりますから」と、山田君と山根君がずっと付き合ってくれたのである」(「あとがき」より)。日本映画の父マキノ省三の長男として生を受け、わずか4歳で映画界入り。サイレントからトーキーを経て、映画が生まれ、成長していく過程をその渦中で生きた男だ。「日本映画の興亡裏面史」? いずれにせよ、彼の人生の道程は映画のそれと重なるのであって、安易ながらこの自伝を映画に喩えるならば、その登場人物は本当に錚々たるものだ。マキノ雅弘という映画人の人生がこうして本に纏められているのは、やはり喜ばしいことだ。