『トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男』マーク・モーマン須藤健太郎
[ cinema , sports ]
本作は伝説的なレコーディング・エンジニアにして音楽プロデューサーのトム・ダウドを追ったドキュメンタリーである。2002年、長年の業績が称えられ、彼にはグラミー賞功労賞が贈られる。本作もまたそのような流れの中で製作されたドキュメンタリーであろう。
アトランティック・レコードで数々のレコーディングに立ち会った彼は、本当に驚くべき数のミュージシャンと仕事をしていた人だ。セロニアス・モンクやジョン・コルトレーンといったジャズに始まり、オーティス・レディングやアレサ・フランクリン、そしてレイ・チャールズらのソウルなどジャンルを超えた音楽を手がけ、オールマン・ブラザーズ・バンドやレナード・スキナードをプロデュースすることでサザンロックというジャンルの確立にひと役買った人物でもある。あるいはエリック・クラプトンとの長年の交流。デュアン・オールマンと彼との出会いを演出したりといった数々のエピソードにこの映画の中心は向かっていく。アーメット・アーディガン(アトランティック・レコード設立者)やフィル・ラモーン(プロデューサー)などの関係者、多くの人のインタヴューがここには収められており、彼がミキシング・テーブルに座って「いとしのレイラ」を30年ぶりに再生していくシーンがこの映画のクライマックスとして用意されている。
しかし、これを再発見の映画として見るのはやはり少しためらいを感じるであろう。なぜなら、私たちは、そのシーンにも自分をいかに見せるかということに長けたひとりのアメリカ人の姿を見るからだ。つまり、これはドキュメンタリーにありがちな発見の映画ではなく、トム・ダウドによるトム・ダウドの映画なのだ。
だから、本作が語るのは、これまで触れられてこなかったレコーディング・エンジニアという仕事や数々のミュージシャンを影で支えてきたトム・ダウドという人物を発見する物語であると同時に、彼が自分の人生を整理し、他者に向け優しい言葉で語りかける自分の物語である。冒頭、「私の名前はトム・ダウド。マンハッタン出身だ」とカメラに向けて語り始めるのがトム・ダウド本人であることに明瞭なように、これは自己紹介の映画なのだ。ここに収められた数々のインタヴューのどれもが自分の名前と出身地の紹介から始まるというその奇妙な統一感もまた、これが自己紹介の映画であることによっているのだろう。
大勢のミュージシャンを通して語られる彼の音楽人生は、彼がエンジニアであるからには必然的に、音楽技術の歴史と重ね合わされる。モノラルからステレオ、そして8トラックからマルチトラック、あるいはデジタルへと変遷していくその技術の歴史のただ中でその先端にいた者だけが持ちうる誇りとでもいうべきものを彼の語り口のはしばしに聞き取ることができるだろう。8トラックを誰よりも率先して取り入れたのが彼であった。しかしそれにしても、彼が音楽技術の渦中に身を置いていたことよりも、彼がいわゆる「マンハッタン計画」に参加し、原子爆弾の研究を主導していたということのほうが、それこそ原子爆弾級に驚きだった。
7年もの歳月を経て本作は2003年に完成したが、トム・ダウドはその完成を待たず、この世を去ってしまった。本作はそんな彼に捧げられている。これが自己紹介の映画に見えるのは、死ぬ直前に、自分の人生を、自分のしてきた仕事を人に伝えようとするそんな彼の姿がここに映されているからかもしれない。優しさに溢れた彼の、愛すべき遺言のように、この映画は私には映ったのかもしれなかった。レアな映像や音源を動員することなく、自分の送ってきた人生を人に伝えるための、最後の挨拶である。