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July 3, 2006

イザベル・ユペール×黒沢清 対談@東京日仏学院
結城秀勇

[ photo, theater, etc... , sports ]

 7月1日より恵比寿写真美術館にて開催の写真展のために来日したイザベル・ユペールと、黒沢清の対談が、27日の夕方に東京日仏学院にて行われた。
 このふたりの出会いについては梅本洋一の『映画旅日記』にある。「日本で映画を撮るのは難しいという黒沢清に、イザベルは、「でも映画を撮りたいと思う監督と、映画に出たいと思う女優がいれば映画は一本撮れるものよ。わたしはいつもそうしてきた」と話を結んだ」。
 新宿タイムズスクエアで公開の映画『ママン』のプロモーションもかねた今回のトークで、『ママン』の役柄は倫理と堕落との間を揺れ動く「炎」をイメージしたとユペールは語っていた。それに対して、黒沢清は彼女の魅力は、常にほかの登場人物とは別の場所を見ているそのまなざしだと語った。そして女性を主人公とした最新作『ロフト』において、主演の中谷美紀のまなざしをユペールのそれに近づけようと撮ったとも。『ママン』のユペールに関しては、その魅力がさほどひきだされていたようには私は思わないが、黒沢のこの言葉には深くうなずける。
 冷静から狂気に変化する一瞬を見せる『ピアニスト』なり、性にたいするオブセッションを持ったオールドミスを演じる『8人の女たち』なり(尻を丸出しにして注射されるシーンもあった)、彼女はさらけだすことを強く感じさせる女優である。『勝手に逃げろ/人生』でもすでに尻丸出しシーンがあったし、なによりあのそばかすだらけの肌が持つ質感が、その印象を強化する。
 しかしながら、今回のトークを聞いて思ったのは、彼女の演技は「さらけだす」ことよりむしろ「まとう」ことによっているのではないかということだ。それはキャラクターを構築したり、フォルムを作ることとは違う。彼女は、黒沢の「『ママン』における「炎」のような具体的なイメージを、毎回思い浮かべるのか」という質問に答えて、「毎回具体的なものとは限らないし、もっとあいまいな「幻影」のような場合もある。それは夢のようなもので、目覚めたあとにも映像は鮮烈に刻まれているが、言葉にすることは難しい」と語っていた。
 その「幻影」とユペール自身が一致する瞬間、あるいはどうしようもなく相容れないものとして対立する瞬間に、彼女の魅力は発揮される。黒沢清を魅了するあの「まなざし」もそんな瞬間に生まれている気がする。

イザベル・ユペール展「Woman of Many Faces」7月1日〜8月6日
http://www.syabi.com/details/isabelle.html