『黒沢清の映画術』黒沢清、大寺真輔、安井 豊梅本洋一
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面白くて一気に通読してしまった。
この書物は、大寺と安井、そして新潮社の風元さんの黒沢清の5日間にわたるロングインタヴューを構成したものだ。黒沢清が六甲高校の高校生時代に8ミリを撮り始めてから、『Loft』の公開までのおよそ30年間の軌跡がこの書物に収められている。だから、この書物は、黒沢清の「自伝」でもある。もちろん彼の仕事は映画監督だから、彼の作品についての詳細な解説にもなっているけれども、それ以上に、その時代その年その月その日の中の彼の映画への態度の変容が示されている。「これといった趣味のない」黒沢清のことだから、彼が映画について語るということは、彼自身のすべてについて語るということであり、ある時期から、映画は映画内的秩序のみに従って生まれるばかりではなく、「世界」の中にしか生まれないと思うようになったことを読むと、彼が映画について語るということは、とりもなおさず同時代の世界について語ることでもある。つまり、この書物は、この30年の黒沢清の変容を、映画の変容を、世界の変容を綴ったドキュメントである。
大森一樹が先輩にいる六甲高校から孤独に世界を見つめていた黒沢清は、立教大学に入学して師(ハスミ)と友人(パロディアスユニティ)を持ち、在学中に神話的になった8ミリ作品を多く発表し、ディレクターズ・カンパニーに参加する。長谷川和彦、相米慎二などに出会い、「本物」の映画に参加し、その過程で伊丹十三に出会う。ヒットメーカーになりたくなかったのに、ヒットメーカーになってしまった伊丹の歪んだ表情を間近に観察し、「不遇」をかこつが、Vシネマの中で多作しながら、『CURE』をきっかけに「映画作家」になり、その「視点」から「世界」を見つめている現在……。内容をまとめてみるとそんな感じか。
一気通読の面白さの原因は、質問者たちの質問が常に黒沢清を急襲しているからだ。同時代を生き、彼のことを詳細に知っている質問者が、ときに黒沢清が予想もしない質問をぶつけるとき、黒沢清はそれに答えるために、それまでにぼくらが知らない彼の思考を見せてくれる。その様は、まるで彼のフィルムを見るように面白い。そして、質問をはぐらかしたりせず、常に誠実にその回答を探し求める姿勢を見せる黒沢清の顔が目に浮かぶようだ。