ダニエル・シュミット追悼梅本洋一
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朝刊の死亡記事でダニエル・シュミットの死を知る。
ぼくがダニエル・シュミットに初めてあったのは今から24年前のことだった。当時は東京のシネフィリーが突然発酵し、アテネフランセに長蛇の列ができた時代だった。そのきっかけのひとつがダニエル・シュミット映画祭だった。シュミットの映画──特に『ラパロマ』──が極め付きのシネフィル映画ではなかったが、彼が導きの糸のような存在──そうPasseurだ──になって、ダグラス・サークにぼくらがたどり着くことになった。『人生の幻影』という素晴らしいドキュメンタリーも彼の作品である。メロドラマの記憶を体一杯に受け止めるように、ルガノ湖畔のホテルで毛布を体に巻き付けて、サークはゆったりとソファに腰を下ろしていた。まるで時間が浮遊するようだった。それはサークの映画における突然の変容とは異なり、明らかにシュミット映画の時間感覚だったように思う。
正直言って、ぼくはシュミット映画の熱狂的なファンではない。もちろん彼のフィルムの幻想性を完全に受け入れたくなかったからだ。無い物ねだりなのを十分に承知しながら、彼のフィルムの豪奢な時間に身を任せながら、この小宇宙よりももっと映画に撮るに値する激しい瞬間が世界に存在するはずだと傲慢にも考えていた。
それでも、『季節のはざまで』はとても感動した。後に、そのフィルムで私たちを過去の世界に連れ行ってくれる存在を演じたサミ・フレーと知り合ったりしたことも、彼がパッスールであることを証明してくれる事実かも知れない。死者たちの彷徨う世界から、ときどきこちら側の世界にやってきて、使者たちの盛時を伝えてくれる映画を撮り続けたダニエル・シュミット。そう言えば彼はかつてヴェンダースの『アメリカの友人』に出演した際、地下鉄の駅──ビルアーケム駅──に佇む彼は新聞を小脇に抱えて、そこにはジョン・フォードの死が伝えられていた。彼は使者たちと、過去の時間と自在に往来する生者だったのだ。