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September 16, 2006

THEATRE MUSICAの「映画館」
結城秀勇

[ cinema , music ]

 THEATREPRODUCTSの音楽部門であるTHEATRE MUSICAが行う、無声映画に生演奏をつけるというイヴェント。先日の溝口健二のイヴェントで上映された『東京行進曲』を見逃していたので行ってみる。プログラムは、ニューヨークの地下鉄が開通した7日後に撮影されたという『Interior New York Subway, 14th Street to Times Square』(G.W."Billy" Bitzer)にエリック・ナギの演奏、『月世界旅行』(ジョルジュ・メリエス)『アリババと40人の盗賊』(フェルディナン・ゼッカ)に山崎真央のDJ、そして『東京行進曲』に阿部海太郎の演奏というもの。
 もちろん目当てであった『東京行進曲』の映像に満足したのはいうまでもないが、それだけでなくこのイヴェントを通して映画音楽というもの、いや映画と音との関係について認識を改めさせられた。この手の無声映画に生演奏をつけるというイヴェント自体は特に目新しいものというわけではない。近年盛んに行われるこうした試みの数々は、映画が公開されていたときにつけられていた伴奏の類とは本質的に異なったもので、映像という先行するテキストといかに新たな関係性を結び付けていくかというものだと認識していた。それが間違っていたというわけではないが、このイヴェントを通じてそれだけではない可能性もあるような気がしている。
上演後のトークで阿部海太郎は、『東京行進曲』が映画に主題歌をつけるという現在では一般的な戦略のその最初の試みだったのだという話をしていた。サイレントで主題歌とは奇妙な気もするが、映画と同題の「東京行進曲」という歌は当時かなりのヒット曲となったらしいのである。溝口健二の映画という素材だけではなく、そこと不可分につながった有名なテーマソングがあり、それからもどう距離を置くかということがひとつのむずかしさでもあったと阿部は言う。結局、その主題歌をアレンジするという方法を捨てた結果こうなったという今回の演奏は、阿部自身によるピアノ、アコーディオンなどの情熱的な演奏と、奇妙な装置が奏でるある種無機質な音との組み合わせになっている。その奇妙な装置というのは、椅子をフレームにしてビー玉くらいの大きさの鉄球を上から転がして落下させ、途中瀬戸物や木や紙などからなる障害物と接触する際の音を、ひとつの楽器としたものである。こんな風に書くといかにもコンセプチュアルな試みのようだが、いや単純にすごくいい音がするのだ。一般的に、饒舌な音楽をつけて映像を駄目にするという例も多々あるだろうが、この演奏はとてもよかった。
 そして一番初めに上演されたエリック・ナギの演奏にも触れておきたい。恥ずかしながら、上演中はサンプリングされた音源にライヴでノイズを加えている程度だろうと思っていたのだが、上演後のトークでほとんどの音がライヴ演奏されていたことを知り、驚く。食器棚をヴァイオリンの弦で擦る音がブレーキ音となり、なんと表現していいのかわからないのだがある物体を金属の刷毛のようなもので叩くとガッタンゴットンといった感じの列車の走行音となる。それはあたかも画面内で鳴っているかのように思えるそれらしい音を後から付け加えるSEの作業とは似て非なるものだ。その証左として、彼が用いていたひとつの秀逸な「楽器」の存在がある。それは金属のチューブとベースの弦を組み合わせたもので、そっとしていてもチューブの中を空気の流れる音をマイクが拾い、また磁石を近づけることで振動音を付け加えることもできる。それは画面内の具体的ななにかの音というわけではない。しかし、地下鉄という巨大なチューブの中を物体や空気が通過する感じ、それが構造的に同様な小さな環境をつくりその音をアンプリファイすることで得られる。いやこういう書き方をするのもためらわれる。というのもそれは画面内であたかも鳴っているかのような音を再現したり、作り出したりする行為とは異質なもののように思えるからだ。この楽器の使用に関して、「ニューヨークの地下鉄は、ヨーロッパや日本の地下鉄に比べて非常にノイジーだ。この映画が撮影されていた当時のニューヨークの地下鉄と現在のニューヨークの地下鉄の音がどう違うのかは知りようがないけれども、この楽器が出す音というのはニューヨークの地下鉄のパーソナリティのようなものだ」と語ったナギの言葉が印象的だった。

THEATRE MUSICA
http://www.theatremusica.com/