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September 17, 2006

『スーパーマン・リターンズ』 ブライアン・シンガー
結城秀勇

[ cinema , cinema ]

この携帯電話の普及した現代でスーパーマンはどうやって変身するのか。というのは誰でも思いつく疑問だろうと思うのだが、しかしながら『スーパーマン リターンズ』における最初の変身シーンでは、クラーク・ケントは月日の流れの前に呆然としながらも、公衆電話ボックスを探して右往左往したりはしない。むしろ人目をはばからずに歩道を走りながらシャツを脱ぎ捨ててしまうのだ。

「鳥か、飛行機か、……いやスーパーマンだ!」とはこの映画の中でもパロディとして使われている台詞だけれども、彼にとっては他のどのヒーローよりも目撃されることが重要だ。彼の「帰還」を告げる飛行機墜落事故の阻止は、メジャーリーグの試合中のスタジアムという大舞台で行われる。観客が(選手が)彼を見る。球場のスクリーンに彼の顔が映し出される。そしてこれが重要なのだが、スーパーマンは見られてはならないというようにカメラを気にすることはなく、撮られてもかまわないといった風に超然としているわけでもない。まるでブランクを挟んでいろいろ勝手がわからないけどどうしようといった感じに周りを見回して、それから去っていく。それは悪の親玉レックス・ルーサーの手先であるキティを助けるときでも、デイリー・プラネット社の看板が落下してくるのを受け止めるときでもそうなのだ。そしてその、アメリカン・ヒーローの典型である彼には似つかわしくない、まるで新人アイドルが舞台の上で素に戻ってしまったかのような瞬間に、決まって彼は写真に撮られる。

この映画においてスターである彼と観客である一般人の間にはどうしようもない隔たりがある。この映画でクロースアップされるのは、彼のかつての恋人ロイス・レイン(ピューリッツァー賞受賞者だ!)にしろ、彼女の息子(実は二世スターだ!)にしろ、一般人とはまったく異なった選ばれた人々だ。そこでは有名新聞の編集長の甥であり、自家用ジェットを所有するロイスの夫さえ、まるで蚊帳の外だ。まして観客である人々にいたっては、生命の危険におちいったスーパーマンの元に駆けつけながらも為すすべもなく、なんの力になることもできず、彼が勝手に復活するのを待つばかりだ。『X-メン』でもそうだったが、ブライアン・シンガーの描く「スーパーじゃない人たち」には苦悩も葛藤もない。
地震による地割れが都会をいまにも襲おうとするとき、スーパーマンが自分の身内を救うのか、それとも都会の人たちを救うのか一瞬迷うというシーンがある。その迷いから生まれる遅れはあまりに残酷だ。

『スーパーマン・リターンズ』公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/supermanreturns/