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September 20, 2006

『雪夫人絵図』溝口健二
梅本洋一

[ cinema , cinema ]

 およそ25年ぶりに『雪夫人絵図』を見る。もちろん木暮実千代主演の女性映画ではある──溝口だから当然!──のだが、今回、見直してみると、このフィルムは、リゾートの映画だということがよく分かる。旧宮家の信濃家の熱海の別荘に、雪夫人(木暮)にあこがれて長野からやってきた濱子(久我美子)が女中奉公する件から始まる。借金が嵩んで旅館になるこの別荘は、熱海の起雲閣である。明治時代の実業家の別荘として建築され、後に本当に旅館になり、今は熱海市が管理する施設になっている起雲閣。太平洋を見下ろす絶景だ。このフィルムの原作者である舟橋聖一も実際にこの場に逗留して、この小説を執筆したという。別荘に到着した濱子が書生に案内されて入るローマ風呂も健在だ。大広間、書斎、応接間等、実際の起雲閣の内部で撮影されている。(冨永昌敬の『パビリオン山椒魚』のロケ地である小山町の豊門会館でのロケと似ている。)
 もと信濃家の書生で、今は琴の師匠をしている菊中方哉(上原謙)──それにしても大仰な氏名だ──は、東京に住居を持っているが、多くの時間を過ごすのは、箱根・芦の湖畔にある「山のホテル」である。このホテルが開館したのは1948年。このフィルムが撮影される2年前のことだ。このホテルもまた元は別荘で、その所有者は岩崎小彌太だった。「山のホテル」のサイトによると、「明治時代の末頃、日本の上流階級の人々は海辺に別荘(別邸)を建てるのが一般的でした。岩崎小彌太男爵が芦ノ湖畔に別邸を建てたのは、当時としては珍しいことだったのです。それは小彌太男爵の父である彌之助が、明治35(1902)年スイスに旅行したとき、高原に建つ家々に感動して帰国し、箱根を〈日本のスイス〉にしようと考えたことに縁があると言えます」とある。そして、この別荘を設計したのはジョサイヤ・コンドル。竣工は1911年。だが、関東大震災でほぼ倒壊した。だが、岩崎小彌太はコンドルの味に十分配慮しつつ翌年にはこの別邸を復旧している。戦後、この別邸が売却され、そのままホテルとして使用された。そして、1950年に片流れ式のスイス風の屋根(スキーロッジみたいなやつ)をもつアルペン風の大きなホテルに建て替えられている(現在はそれが70年代に再び立て替えられたものだ)。だが、このフィルムを見る限り、「山のホテル」は小規模であり、おそらくコンドル風の別荘の最後の姿を伝えているのでないか。
 ススキの原が広がる急峻な坂道を、熱海からのバスが何度も登っている姿が登場するが、突然、眼前に開ける芦ノ湖の姿も絶景である。そして、ホテルのバトラーを演じる田中春男がいい。起雲閣からの海、山のホテルからの芦ノ湖。『雪夫人絵図』は海と湖を眺めるフィルムでもある。そして川も登場する。柳栄二郎扮する信濃家の娘婿・直之は、愛人の住む京都にいるが、離婚を決意した雪は、京都の直之のところへ行く。祇園の料亭──簾、舞妓たち──簾の向こう側には、賀茂川の流れが見えている。海、湖、そして川。水の流れのように生きている雪の徘徊するところには常に「絶景」の水が存在している。ラストで雪が芦ノ湖に入水自殺(ネタバレごめんね)するのも当然の成り行きなのだ。雪は自らの出自である場へ帰っていった。