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December 1, 2006

『ナオミ・ワッツ プレイズ エリー・パーカー』 スコット・コフィ
結城秀勇

[ cinema , sports ]

ひとりの女優がハリウッドの街中を駆け回る。『ナオミ・ワッツ プレイズ エリー・パーカー』は、現代における女優という職業についての幾分戯画化された、だがそれゆえ核心に触れるドキュメントである。実際には彼女がその職業であり続けるための「仕事」を得るために駆けずり回り、そして結局はその「仕事」が、カフカの「城」めいた現代の迷宮の中で決してたどり着けない場所にあるのだとしても。
彼女はその実体もよくわからない「仕事」のために、オーディションをハシゴし、レッスンを積み重ねる。ある場所からある場所へ、矢継ぎ早の運動をつなぐのは、彼女の移動手段であり同時に部屋であるような彼女の自動車である。デジカメの機動性を生かした、この映画のかなりの部分を占める運転シーンが彼女の「仕事」について教えてくれる。どんな風に演技すればいいかわからない、あたしが演じたいのはこんな役柄じゃない、あたしがどんな人間なのかわからない、そんなありふれた都市生活者のアイデンティティ喪失を彼女は愚痴ってみせるけれども、それに対する答えを彼女は車の中で育てている。片手でハンドルを、片手で携帯を支え、彼氏と喧嘩し、同時に次のオーディションの口を得る。その中にいままさに彼女が「変身中」の人物の台詞が紛れ込んできて、それらがフロントガラス越しに混ざり合う。「あそこから10分でこれるはずないじゃない、あそこから10分でこれるはずないじゃない、あそこから……」。ジーパンを脱いで黒い下着の上にビッチなホルスタイン柄スカートをまとって、アクセルを踏みつつブーツに履き替える。口紅を塗って、わざと滲ます。髪を乱す。変身完了。その後の、テーブルの後ろに一列に並んだ監督やプロデューサーたちに見せるパフォーマンスは、自動車の中で行われる彼女の労働のほんの残滓に過ぎない。
いやもうそれは変身などというものではないのだ。衣装の切り張りや、まったく距離感のない移動によってつぎはぎされる都市のモンタージュ、ぼやけたハリウッドの遠景と昆虫のクロースアップを隣り合わせること、そんな所には留まらない。変形、メタモルフォシス、トランスフォーム、別になんと呼んでもかまわないが、ナオミ・ワッツ=エリー・パーカーは変わり続ける。あるいはあの自動車は『ザ・フライ』の転送装置めいた、エラーを含んだ移動=変身装置なのかもしれない。
たしか『キング・コング』では、彼女の顔はジャック・ブラックに(その劇中の時代にして既に)「古典的な美」を見出されるのではなかったか。この映画はそんな時代錯誤な顔の百面相をただモンタージュするのではなく、力一杯ひん曲げ、こじ開け、歪め、引き延ばす。その中にはもちろん『キング・コング』も『ザ・リング』も『マルホランド・ドライブ』も紛れ込むのだが、よくよく見れば見慣れない女性が見える。そして最後に、やはり路上で、なんの必然性があるのかわからない時代錯誤なドレスに着替え、様々な時代がコラージュされた都市の中へ(外へ?)ワッツは突き進んでいくのである。


渋谷イメージフォーラムにてロードショウ中