『クルマ少年が歩いた横浜60年代』菊池憲司梅本洋一
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先頃「カー・グラフィック」誌を定年退職したライター=フォトグラファーの菊池憲司が、少年時代から撮り貯めたクルマの写真を集めた書物。菊池は横浜生まれで、この写真集には60年代初頭のクルマと横浜がたくさん写っている。
『建築を読む』(青土社刊)──乞うご愛読──を準備している間から、ぼくはこの種の写真集を見続けて飽きることはなかった。この写真集も、表紙になっている英国ナンバーを付けたオースティン40と後方のマリンタワーの写真から、もう釘付けになってしまった。「山下埠頭に荷揚げされたばかり」なので、英国ナンバーが付けられていると解説されている。小さな林の向こうにマリンタワーが突き出ていて、その前にオースティン40があるだけの単純な構図の写真だ。だが、空はどこまでも広い。今ではこんな写真は撮れない。当たり前だ。40年以上前のことだから。山下埠頭、マリンタワー──どこも知っている場所だ。それにこの写真が撮られた頃、ぼくはこの街に住んでいて、おそらく後方の林の中にある山下公園で遊んだかも知れない。否、山下公園はまだ米軍に接収されていたか? 英国ナンバーのオースティン40、マリンタワー、林、どこまでも広がる空──つまりまだビルがないということだ──、それだけの写真から、ぼくらは必然的に写真に撮られた時代から現在までの距離を測ることになる。
このクルマ好きのカメラ小僧は、地理についてもマニアックな嗜好を持っている。この写真集の編集からそうできている。こうした写真集はクルマ別に章立てするのが普通だろうが、この写真集は、場所別に章立てがされている。山下公園通り、シルクセンター、山下町、大桟橋、本町、住吉町、千歳町……。クルマの背後には必ず街があり、街がクルマの同時代を呼吸している。そして添えられたキャプションには、背後に写っているビルの名前までが記されている。62ページ──ここは馬車道の章──にある4枚の写真の一番上には、フォード・ギャラクシー──ゴダールの『気狂いピエロ』にも登場したクルマだ──の写真がある。何気なく舗道に面して駐車され、その背後にはビルの1階部分だけが写っている。「1960年型フォード・ギャラクシー……馬車道大津ビルのわきで、1961年12月20日に撮影」というキャプションが読める。大津ビルの前には神奈川県立博物館があり、大津ビルは建築家・飯田善彦さんのオフィスが今入っている。大津ビルの脇を入ると、「Pane e vino」というイタリア料理店がある。当然だが、いま、フォード・ギャラクシーなど見ることはできない。大津ビルの隣は、東京芸大大学院で黒沢清が教えている。大津ビルからちょっと入ったところにあったビルの中には戦前、フィンランド領事館があって、そこでぼくの母が働いていた。