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December 17, 2006

『スキャナー・ダークリー』 リチャード・リンクレイター
結城秀勇

[ cinema , photo, theater, etc... ]

フィリップ・K・ディック『暗黒のスキャナー』(この映画の公開にあわせて『スキャナー・ダークリー』と改題した新訳も書店に並んでいる)の映画化である。『がんばれ!ベアーズ』を、秀逸にとは言わないまでもそつのない出来にリメイクしたリンクレイターだけに、今回も『暗黒のスキャナー』という小説には何が書かれているのかがよくわかるような出来になっている。つまり原作を読んだ方がはるかに面白い。映画をその原作となった小説と比較しても不毛だと思うが、この小説の持つ現代性(9.11以降の世界との相似はスタッフやキャストが口をそろえて語るほどだ)と『ウェイキング・ライフ』のデジタルホロスコープを用いた手法を重ね合わせることで生みだし得ただろう可能性を考えると、そんなことも言いたくなる。
ジャンキーに偽装したおとり捜査官が本物のジャンキーと見分けがつかなくなる。普通の警察官は任務中のおとり捜査官を捕まえてはまずいので、法定速度を超えて車をぶっ飛ばすジャンキーを逮捕しない。結果、本物の売人たちが大手を振って大量のヤクを積み込んだ車をかっ飛ばし、売りさばき大もうけしている。そんな場面が原作にあったが、おとり捜査官としてジャンキーのグループを監視し、同時に自分によって監視されるひとりの警察官の混乱を描くこの映画の一番の問題点は、その捜査員を演じるキアヌ・リーヴスの顔にある。彼ら捜査員が自分以外の捜査員にその素性を見破られないように装着するスクランブル・スーツは、小説では匿名性の具現化としてあったが、この映画においてはその謎めいたスーツの下にあるリーヴスの顔を映し出してしまう。『ウェイキング・ライフ』では複数のイラストレーターのタッチの違いが主人公の顔を絶えずおぼろげに変化させていたのに対し、『スキャナー・ダークリー』ではリーヴスの顔は決して揺らぐことはない。いかに彼が自分のアイデンティティが崩壊した様を演じようとも、キアヌ・リーヴスではない無数の匿名な顔のなかで彼の顔だけは特権的なものであり続ける。
あるいはそもそもリンクレイターの狙いは別のところにあって、それは彼の活動の拠点であるオースティン近辺に住むデジタル・アーティストの卵たちの人材養成だったりすると言えるのかもしれない。この映画の舞台となる「現在から7年後の世界」のカルフォルニア・アナハイムは、現在のオースティンの町並みの上に描かれている。7年後の世界のそのぬっぺりと塗られたデジタル絵の具を透過して現在を見通す視線に、この映画自体がそのようなおぼろげな「スキャナー」の視線になり得たならば、近代的なパースペクティヴの崩壊後の世界の知覚の一端を示し得たのではないかと勝手に夢想する。


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