『ホリデイ』ナンシー・メイヤーズ松井 宏
[ cinema , sports ]
『The Holiday』などと、この選択は勇気なのか無謀なのか。キャストを見るとジュード・ロウ、ジャック・ブラック、キャメロン・ディアス、ケイト・ウィンスレットと、女性陣に「ひと昔前」感を見る節もあるやもしれぬが一応の豪華四つ巴である。こんなガチンコ四つ巴はここ数年ハリウッドでは珍しい気がするが、とはいえ現在のディアスの崩れかけ感は本当に良い。藤原紀香の現在と同じと言えばいいか、このフィルムでも(『イン・ハー・シューズ』と同様)彼女の「もう若くなさ」が十分活かされている。
キューカー傑作のタイトル(『Holiday「素晴らしき休日」』)を頂いているように、このフィルムは過去の幾多のロマンティック・コメディを散らしつつ(かつてのハリウッド名脚本家の老人は『青髭八人目の妻』の有名なパジャマネタを語る)、ケーリー・グラントを経由して、明白にキューカーを意識する。カリフォルニアの大邸宅でディアスが恋人をドアに蹴りだす冒頭のシーンは明白に『フィラデルフィア物語』のそれだ。しかし実際このフィルムが取り組むのは「再婚の喜劇」ではない。傑作とは言い難いこのフィルムがそれでも興味深いのは、キューカーやグラントというロマンティック・コメディの神話的要素のちょっとしたずらしがあるからだ。たとえば『アダム氏とマダム』で最後に男(スペンサー・トレイシー)が泣くというジェスチャアが決定的だったのが、ここでは「泣けない女」という設定のディアスが泣くというジェスチャアが決定的となる。あるいはここでのグラントたるジュード・ロウは、あろうことか、やもめの子持ちであることがフィルムの中盤あたりで突如判明する。グラントは子供なんて持ってはいけなかったのに。でもジュード・ロウに子を持たせてしまうなどというのは、逆に言えば、我慢やら根性が足りないというか、さすがに子供なしで130分を乗り切るのは不可能なのかとそうも言える。ロマンティック・コメディに足を掛けながら、たとえそこに2組のカップルが必要だとしても、やはり余程の緻密さがなければこの長さはきついだろう。
いうなれば古典的ロマンティック・コメディになるはずが、そこに90年代頃から現れてきた「ダメな恋をしてしまう女の子」ものをプラスせざるをえず、足枷になった感じか。それがカリフォルニアのキャリアウーマン「泣けない女」ディアスと、イギリス田舎町サリー(ケーリー・グラントの生地だ)の恋の苦手な泣き虫ウィンスレットとの、ヴァカンスを利用した交換滞在の物語そのものだ。だが一方の男を一方が奪うなどの無駄な交錯を廃した潔さや、一目惚れの演出に意地でも王道を持ってくるあたり、気持ちが良い。そしてディアスが初めてシャツの胸を少し開けて、そこから文字通り込み上げる涙を目から流すときもさることながら、たぶんもっとも感動するのはウィンスレットが、数年間苦しまされてきた男をついに「愛さなくなった」瞬間の歓喜だ。愛することではなく愛さなくなることの悦びがひとをいちばん綺麗にしてしまうことに、私ははっとしてしまった。