不二家伊勢佐木町店梅本洋一
[ architecture , cinema ]
ある晴れた午後に不二家伊勢佐木町店を見に行った。もちろん期限切れの牛乳を使用したシュークリーム事件の後のことだ。この事件で、アントニン・レーモンドのこの傑作建築の寂れぶりに拍車がかかったようだ。かつては天井の高い1階の喫茶室には中二階が設けられ……ぼくはそう『建築を読む』に書いたのだが、1階の喫茶室の前にあるシューケースは空っぽで、入り口には「お詫び」の紙が貼られ、営業中の不二家レストラン──いつの頃からかファミレスに成り下がった──には、野次馬のような客が数名入っているだけだった。6階まで突き抜けている店舗脇のガラスブロックの階段は、かつて光りがたゆやかに入ってきて素敵な空間だったが、今は工事中でかつての面影さえない。
もちろん、今、不二家として営業しているのは1階だけで、その他は貸店舗になっていて、このビルも完全な雑居ビルになっている。清々しいまでのモダニズムに貫かれたかつての姿を知っているぼくにとって、このビルの頽廃ぶりは不二家そのものの盛衰と軌を一にしているように感じられる。横浜一の繁華街だった伊勢佐木町、関内方面からその入り口にあった博雅はなくなり──名物の焼売だけは、松坂屋と横浜駅の高島屋で売られているが──、松屋はJRAになった。野沢屋が松坂屋になって、まだデパートは残っているが、実際に入ってみると、このデパートの特徴を出すような品物は売っていない。ところどころに老舗は残っているが、どの店も閑散としていて、人が入っているのは、「閉店セール」の衣料店ばかり。
伊勢佐木町と、かつてのターミナル・ステーションである桜木町を結ぶラインは吉田町であり、ここもかつては栄えた繁華街だったが、今では野毛の延長のようなシャッター・ストリートになっている。吉田町の通りと伊勢佐木町モールはほぼ直角に交叉しているが、太田川と伊勢佐木町の間は、福富町と呼ばれる界隈になる。子どものころの記憶がないので、昔どうなっていたか分からないが、今ではこの地域の焼き肉屋とソープランドの密度はすごく高い。ちげ鍋の看板がでている店の隣に豚カルビ専門店があり、その隣にソープランドがあり、その3階に国際結婚案内所があり、その隣がフィリピンパブといった感じ。日中はそれらの店がほとんど閉店しているので、歩いている人も少ないが、横断歩道で信号待ちをしていると聞こえてくる言葉はコリアンがやはり多い。夜はどうなっているのだろう。伊勢佐木町にも福富町界隈のエネルギッシュでアジア的な力がどんどん侵入してきている感じだ。両側を焼き肉屋に挟まれたイタリア料理店という看板がでている──といっても「イタリア料理」はなく洋食屋だ──「イタリーノ」でランチをした。その日の定食──小ぶりのハンバーグ2個の上にスライスしたゆで卵が乗っているもの──をおいしくいただいた。ちょっと感傷的になった。