『今宵、フィッツジェラルド劇場で』 ロバート・アルトマン結城秀勇
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カミュは『シーシュポスの神話』の中で、本質的な問題(ときにひとを死に至らしめるかもしれない問題)について思考方法はふたつしかないと述べている。それは、ラ・パリス的な思考方法とドン・キホーテ的な思考方法だと。ドン・キホーテ的なというのは改めて述べるまでもなく、熱情的な態度である。一方、ラ・パリス的なというのは明証性だということになっているのだが、それはラ・パリスという16世紀フランスの将軍が戦死した際に、部下たちが彼の勇猛さを讃えて「彼は死の15分前まで生きていた」という詩を作ったからだという。「死の15分前まで生きている」のは当たり前といえば当たり前の話なので、彼の名前はその勇猛さよりも「自明の理」として知られるようになったわけだ。
そんな話を、『今宵、フィッツジェラルド劇場で』のラスト、それまで出てきたどんな笑い話よりも大きな笑いの中へ元出演者たちを誘い込むひとつのジョークから思い出した。元劇場主の葬式で追悼の言葉を述べたギャリソン・キーラーが「あれは我ながら良い出来だった」と言ったのに対して「彼もあと二、三日長生きすれば聞けたのにね」と答えるメリル・ストリープ。一同大爆笑。
いつまでも続くかと思われたショーが終わってしまったあとで、彼らは「終わりのその後」について笑い話を交わすわけだが、このショーの素晴らしさは「死の15分前まで生きている」という一言に尽きる。実は終わらない、ということではなく、あるいは終わり方がいいとか悪いとかではなく「終わるまでは続いている」という自明の理なのだ。そのメカニズムをカメラは、ステージ上とその真下にあるバックステージを行き来しながらとらえる。死者に追悼の意を示すとか、最終回に際して観客に感謝の意を示すとか、そういった特別なことをやるべきだと口にする者もいる。そんな特別なことはこれまで続いてきたやり方の中ですべて行われる。最後だから大事なことがあるでしょうという人たちも、「Show must go on」が一番大事なことだと知っている。
そしてこのショーは終わりの6分前まで続いたし、残りの6分間も続いた。当たり前のように。
銀座テアトルシネマ・Bunkamura ル・シネマ他にてロードショー中