« previous | メイン | next »

March 27, 2007

『カンバセーションズ』 ハンス・カノーザ
槻舘南菜子

[ cinema , cinema ]

 場所はマンハッタン。ホテルのウエディングパーティで10年ぶりに再会した男女がつかの間の一時を過ごす。ホテルの一室。タイムリミットは朝6時。新婦の兄である男(アーロン・エッカート)と新婦の友人であり、元妻(ヘレナ・ボナム=カーター)、彼女がロンドンにたつまでの数時間に交わされるカンバセーションズ。
 このフィルムが特異であるのは、二つのキャメラを通して全シーン、全テークが撮影され、全編がデュアルフレームで構成されていることだ。シネマスコープの画面の真ん中に引かれた一本の線は、〈現在〉とともに、ある時は過去を、そして扉一枚で隔てられたバスルームの向こう側の、あるいは、受話器の先に広がる空間の、クローズアップされた細部という現在を、時には、〈現在〉とはまったく別の現在を映し出す。だから、過去や未来や別の現在に隣り合いながら、〈現在〉は何の躊躇もなく前に進んでいけばいいことになる。
 監督であるハンス・カノーザは、この二つの手法によって、無意識も意識も含めたすべての感情と思考を捉えたらしいが、アクション/リアクションを双方向から見ること、そして完璧に等分された現在/過去を同時に見ること、それらが、今、その瞬間の〈現在〉を息づかせているようには思えない。散り散りになった断片は繋がり合うことのない書き割りの時間だ。そして、過去を想起させるのはいつでも現在の発する声だろう。現在に語られた言葉に呼び覚まされた過去は、彼らによって交わされる言葉によってその都度、細部を幾重にも変えられていく。ここにある過去は、ホテルの一室という親密な空間の中で、変化を持たない背景の中で、容易に現在が持つ言葉一つで変えられてしまう程度のものだ。
 同じような設定を持つ『ビフォア・サンセット』━数年越しの再会、限られた数時間、語られる多くの言葉、そしてなんと映画の尺もほぼ同じ━では、パリという空間が二人を惹き合わせる。残された時間の中で、二人の背後で目まぐるしく変わり、流れていくパリの風景とともに、発せられ、取り逃がされる言葉たち。過去の時間を埋め合わせるように言葉は積み上がっていくけれど、映画のラスト、ジュリー・デルピーの部屋で、珈琲を受け取ったイーサン・ホークのmerciはmessyと聞き間違えられてしまう。彼らのズレは決して解消されることはない。でも確かに二人は同じ時間を生きたはずだ。
 『カンバセーションズ』のラストシーン、タクシーに乗り込んだ二人が同じ背景を持つと感じるどうしようもない違和感。薄っぺらな過去にあるのは、同じような現在だけだ。二人が同じフレームに収められていたとしても、彼らの現在も過去も未来も並置されるだけで、交錯してはいないのだから。
 彼らの現在、過去、未来に覆いかぶさるカーラ・ブルーニ〈姉はヴァレリー・ブルーニ=テデスキ!〉の歌う『J’en connais』も『Le plus beau du quartier』も好きだけれど、ただこのフィルムを飾り立てるだけに過ぎないように思えてしまう。ジュリー・デルビーの『An Ocean Apart』で始まり、そして劇中で彼女の歌う『A Waltz For a Night』、クレジットで流れる『Je t’aime tant』。『ビフォア・サンセット』の撮影中、ジュリー・デルピーとイーサン・ホークは、実際に恋におちた。でも、ヘレナ・ボナム=カーターと、アーロン・エッカートはきっとそんなことはないのだろう。それがこの二つのフィルムの決定的な違いであり、すべてだ。

シネスイッチ銀座他にてロードショー中