« previous | メイン | next »

April 21, 2007

『サンシャイン2057』ダニー・ボイル
松井 宏

[ cinema , sports ]

久々ではないかと思われるB級宇宙SFフィルムとして確かにこのフィルムは楽しめてしまうのだが、しかし死に瀕した太陽を再び活性化させるミッションを課されたクルー8人のなかに誰一人悪くてヤバい奴がいないというのは、これはいったいどういうことか。密室内での常套たる心理的なぎりぎりした諍いや、腹黒さの浮上という説話の糸がほとんどないのである。冒頭からほとんど流れるままに進行し、いきなりキャプテンが犠牲的精神で死んでしまうという、その呆気にとられる展開からしてどこか奇妙だし、そもそも驚くべきことにメンバーたちの過去はいっさい語られることがなく、彼らが互いに心情を吐露する場面もいっさいない。かといって彼らは淡々と仕事をしてゆくプロフェッショナルかというと、実際そうでもなかったりする。ではいったい彼らは何をしているかとなると、言ってしまえばおそらく、単に太陽に見惚れているだけなのではないか。
とにかく犠牲になること。それが彼らに課されたもうひとつのミッションとも言えるのだが、ここでは太陽により強く見惚れている者ほど、その犠牲の精神が強い。太陽を見たいと欲望して太陽に近づいてゆけば、もちろん高温で焼かれて死ぬしかないわけで、しかし死の間際の者がいったい最期の最期でどのような映像を見たかというのは、あたかも白いハレーションの画面のように、生き残った者たちには決して伝わらないのである。しかしそれでも彼らは「見る」ことのために自ら犠牲になる(最後まで生き残ってミッションを完遂する男はロバート・キャパという名を持つ)。
けれどそこまでして、では本当に「見る」ことが救われているのかというと(物語の終わりとは別に)これまた単純なものではなく、何かがぼやけているのだ。このフィルムはラスト30分で突如ホラー映画に変貌してしまうのだが、そのモンスターというは一応人間なのだが、輪郭はかろうじて見えるとはいえ、もうぶれぶれの映像によってしか見せられないのである。まるでその身体は太陽に焼かれて灰になったものが再び無理矢理くっついて人間の体を為しているようで(彼はどうやら神に近づいてもいるらしいのだが)、しかし目だけは確実にそこにあるのだが、実のところそれこそ『サンシャイン』がもっとも見たかった映像なのではなかろうか。あのどこまでも不明瞭な映像にこそ救いがあるのか、それとも見ることを欲する人間は最終的にあのような姿になるのだということなのか、とにかくあのモンスターはよくわからない存在なのであった。