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May 24, 2007

『兎のダンス』池田千尋
結城秀勇

[ cinema , cinema ]

冒頭の緩やかなパンダウンや、山道を車がカーヴするのを捉えたショット、あるいは古い一軒家の開け放たれた広い空間で人々が行き来するのを捉えたショットなどでのカメラの動きには心躍るものがあり、なるほど前評判の「レベルの高さ」とはこういったことかと納得する。しかしその反面で、静止する登場人物たちを見つめる視線の「日本映画」っぽさにはいささか閉口する。いやこのような言い方ではぐらかすのは良くないだろうか。動きを止めた登場人物の顔に浮かぶ「曰く言い難い表情」に注がれる視線は、風鈴や古びた洋人形、ハーモニカといったオブジェに注がれる視線と共通のものを感じさせる。爆発するわけでも、完全に押し殺されるでもなく漂っている感情の高まりのような雰囲気は、作品内の論理によってほとんど見えないなにかを映し出しているというわけではなく、むしろ登場人物に任意の内面を投影することを容易にしているだけだ。それは決して俳優が悪いわけではない。
この作品のクライマックスである『狩人の夜』のシーン。繋がれていたボートのロープをほどく場面で「おお」と思うのだが、しかしモデルとなった『狩人の夜』ではそれまでのトーンから抜け出す決定的な転調の瞬間であるこの場面を経ても、この作品では主人公はそれまでの閉塞的な環境から抜け出すことはできない。『狩人の夜』の少年が幼い妹を守るために舟を出すのに比べれば、幼い妹を守るべき対象として見出すことができずに逃亡を試みるこの少女がわずかに川を下っただけで立ち往生してしまうのも当然の報いかもしれない。守るべきものさえなく、逃亡する前線さえ持たない。それが現代における不幸なのだと言えばそうなのかもしれないが、そんな身の丈に合った不幸に私たちはいつまでもかかずらわっていなければならないのか?そんなことを考えるのは私が不謹慎なだけだろうか。

東京藝術大学大学院映像研究科第一期終了展、ユーロスペースにて24日(木)までレイトショー