『CREEP』酒井耕、『from DARK』大門未希生結城秀勇
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アップが遅くなってしまったが、芸大映像研究科の修了作品であるふたつの作品について述べておきたい。
まず『CREEP』。男子高校生と20代前半の女性との駆け落ちと、地質学者の秘められた過去が交錯していくさまを描くこの作品では、テーマである「埋もれてしまった過去が現在を揺り動かす」ということからくるのであろう、冒頭から微妙に揺れ動くカメラが印象的である。ここで取り上げる2作品、そして以前にこのサイトで書いた『兎のダンス』にも共通することであるが、こういった画面を構成するに足る技術を持った若い人材を確実に一定数養成したというだけでも、この映像研究科の功績は大きい。優れた設備、いい機材で繰り返し秀作を積み重ねることでスタッフは確実に成長する。前半の移動中の車内を描いたシーンや、山の中を移動する人間を描いた場面の抑制の利いた演出を見ていると、自分とそう年齢も変わらない人間がこうした画面を構築しうるのだということを目にするだけで素直に嬉しく感じる。
『from DARK』は、知らず知らずのうちに宇宙からの侵略を受ける世界を描いたもので、未見である『A Bao A Qu』『エイリアンズ』を除いた4作品の中で個人的に一番好きな作品だ。『歪形するフレーム』の中でパスカル・ボニゼールが、アントニオーニについて述べていたことを少しだけ思い出した。学校とか、病院とか、地方の「厚生年金会館」みたいなものを思い起こさせるいわゆるモダンな空間の中で、黒い染みが日暮れとともに世界を侵食し、夜明けとともにまた見えない部分へ戻っていく。その繰り返しは、すこしずつ取り返しのつかない進行を繰り返している。
だがたとえば『from DARK』の、圧倒的な終盤の展開が魅力的であるがゆえに、今回の作品群が持つ60分前後という中編の尺が果たして正しい選択だったのかと疑問を抱かずにいられない。各作品のテーマは、皆自分の領域を自覚しているように器用にまとまっていて、これなら短編の尺で十分に描き切れたのではないかという気がしてならない。先程スタッフはいい環境の中で確実に成長することができると述べたが、監督についてはそう言いきることができない。修了作品という条件がそうさせているのかもしれないが、皆が皆、小さな環境における差異にあまりにもとらわれているような気がする。処女中編というのは、自分の潜在する可能性をひとつも残すことなく爆発させるべき場だと思うのだ。例えそれがまとまりがつかなくとも、出来はよくなくとも、そういうなにかをこそ見たいのが処女中編というものだ。
東京藝術大学大学院映像研究科第一期修了作品