『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』シドニー・ポラック梅本洋一
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シドニー・ポラックのフィルムを見るのはいつ以来だろうか。70年代の彼は多くの秀作を残しているのだが、今世紀に入ってやや低調な感じがする。久しぶりに見る彼のフィルムがドキュメンタリーであり、しかもフランク・ゲーリーについてのフィルムだ。
このフィルムを見るまで知らなかったことがある。たとえばデニス・ホッパーの自宅の設計者がゲーリーであることや、ゲーリーが一番影響を受けたのがアルヴァ・アールトだということ。残念ながらホッパーの自宅は紹介されなかったが、すこしばかりキッチュな俳優であるホッパーとゲーリーの近似する点はあるかもしれない。それ以上に、アルヴァ・アールトとゲーリーの共通点は造形上あるのだろうか。
ゲーリーへのインタヴューとゲーリーについての証言、そしてゲーリーの作品を並べるこのフィルムは、ごく普通のドキュメンタリーだ。けれども、やはり驚かされるのはゲーリーの作品が、ゲッゲンハイムに限らず、やたらにフォトジェニックなことだ。コンピュータ技術を駆使した曲線と金属の質感に溢れた巨大な建造物は、建築というよりも、それ自体、彫刻やインスタレーションであると言われるのはよく分かる。予算の多いモニュメントを作りたいと考えたとき、これだけの特色を備えたゲーリーの作風は、うってつけということだろう。
ただこのフィルムは良心的に作られていて、証言者たちが、ゲーリー礼賛の言辞を並べているだけではない。たとえばハル・フォスターは、ゲーリーが常に同じ様式を反復していると批判さえしている。そして、多くのゲーリー作品が映し出されるこのフィルムには、そのことが証明されてもいるようだ。ビルバオの人たちは、グッゲンハイムが自慢だとも言っていた。確かにイメージとしてのモニュメントとしてゲーリーの建築は、「素人でも分かる」のだ。
ゲーリーは、自らの野心や建築の特色について正直に語るが、このフィルムで彼がまったく語らなかったことは、彼の建築がある都市と彼の建築との関わりである。もちろん隣に建っている既存の建築物との関係性については語っているが、マクロな視点から見て、彼の建築が、都市を、ひいてはぼくらの生活をどのように変えていくのかについてはまったく語られていない。彼がもっとも影響を受けたアルヴァ・アールトは、ゆるやかな室内空間によって、今なお多くの空間に影響を与えているだろうが、ゲーリーは、ぼくらの都市の生活にある問題にはいっさい無関心で、単に特徴あるエディフィスを立て続けているだけのように思える。彼に依頼するとは、単に「ゲーリー印」のモニュメントが欲しいだけのことではないか。ブランドという言葉は彼にふさわしい。その意味でティファニーが彼にアクセサリー・デザインを依頼していることは適切な選択だろう。少なくともぼくはゲーリーの建築よりも、彼のデザインによる小さなアクセサリーの方が好きだ。