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June 15, 2007

『ブラック・スネーク・モーン』クレイグ・ブリュワー
結城秀勇

[ cinema , cinema ]

 しかし、クリスティーナ・リッチの新作を見るたびに覚えるあの違和感はなんなのだろうか。別に彼女が出ている映画はすべて見るというほど好きな女優ではないし、好きではないが認めざるを得ないという程の実力を備えた女優だとは正直思えない。しかしなにかの折りに彼女を見るたびに、「あれ?クリスティーナ・リッチってこんなひとだったっけ?」という疑問が頭をかすめる。事実『ブラック・スネーク・モーン』の冒頭に置かれたセックスシーンを眺めながらリッチはいつ登場するのかな、などと考えていたくらいだ。
『アダムス・ファミリー』のあのイメージにいつまでもとらわれた「子役のまま」の女優になるかと思いきや、『バッファロー’66』のあのぽっちゃりぶり、かと思えば『スリーピー・ホロウ』ではまた子役時代の面影が宿ってもいるし、「アリー・myラブ」では「“ロリータ”・バンプ」なる彼女に対する大衆のイメージの集合体のような役を演じていた。そして今回のこの役である。察するにせいぜい10代後半といった感じのビッチ役は、なるほどと思う一方で実際はもっと老けているだろうという思いもぬぐえない。実年齢もよくわからず、どの映画の彼女がベストの体型なのかもよくわからない。巷の噂によれば、豊胸手術ならぬ貧胸手術を施しているのだとも聞く。役作りのために体重を落としたの増やしたのという話は数限りないが、リッチの身体の変形ぶりはもはやそんな領域に留まっていないような気がするのである。
 そんな不定形のリッチの肉体を、サミュエル・L・ジャクソンは黒い鎖で繋ぐ。まさに彼女を「整型」するために。しかしそれは思ったほど長い期間のことではない。たとえ鎖から解放されようとも、リッチもジャクソンも内なる黒い蛇のうめきから自由になれるわけではないのだ。いやそもそも、古い皮を脱ぎ捨てるたびにかたちを変えていく蛇とは、まさにリッチの肉体のことではないか。だからこそ彼らふたりは自由を祝福するはずの晩に、彼らを襲う怒りや恐怖や憎しみの歌を歌う。嵐の中、それまで使うことのなかったギターとアンプを持ち出して、怒りや恐怖や憎しみそのものを叫ぶ。
 そしてブルースと奴隷を繋ぐ鎖とがリッチの白い肌に降り注ぎ食い込み、やがて彼女は黒人として再生するのである。

シネアミューズにて夏、ロードショー!